第2号(2008/8/1)●6-7面

■いま韓国では

“学ぶ女子”達がキャンドル集会の先駆けとなった理由

食べて生きる知恵と経験を分かち合う生活政治家たち 

パク・イウンシル(論説委員) 訳/黄 泳洪

―韓国インターネット新聞、『チャムセサン』7月5日掲載コラムより


 編集局から―李政権の米国産牛肉輸入再開に抗議する闘いは、当初は中学生、高校生から始まり、5月2日の大規模なキャンドル集会(1万5千名)を契機に、その後毎晩同様の集会がソウル広場で開かれた。「光州民主化運動記念前夜祭」の5月17日には4万名、6月10日の「87年民主化抗争の日」には農民・労働者など社会運動団体が合流してソウルで60万人、全国で100万人のキャンドルデモ・集会に膨れ上がり、韓国民主主義の歴史に画期をなす闘争となった。新企画「いま、韓国で、」の第一回は、その闘いの中に生まれつつある新しい質について扱う。編集局の責任で、小見出し、一部略など編集しております。

李明博政権の‘米国産狂牛病牛肉輸入’に「NO!」

 CEO出身李明博大統領は、貧しい家の出身という後光を背負い、国の経済を活性化するという約束を担保に、この国の大統領の地位を与えられた。全体有権者を綿密に検討してみれば10名中3名あたりの支持を受けているだけだが、選挙が終わった後では、彼を選んだ人であれ選ばなかった人であれ、支持した人であれそうでなかった人であれ関係なく、どうせやるなら‘頑張れ’という期待があったはずである。しかし、そのような期待に、李明博大統領は‘米国産狂牛病牛肉輸入’と‘検疫主権放棄’で答えた。
 そして、その事実を暴露されるや、言い逃れと嘘で明け暮れた。

韓国社会と食の問題
彼が触れた問題は、他でもなく食の問題である。

 韓国社会で食べる問題は、ただ食だけの問題ではない。それは韓国人の生と文化に直結した問題である。私たちは、辛い時ごとに、‘これを全て食べて生きよう’とお互いを慰労する。誰かが悪いことでもすれば、‘共に食べて生きようとしていたのに’と言う寛大な心にもなる。お互いが会い交わす挨拶も、‘朝食を食べましたか?’‘食事をされましたか?’である。
食の問題は、韓国社会では人間関係、即ち社会を創り維持する問題と直結している問題である。
 他方で、食の問題は、新自由主義的資本主義体制が強固化されればされるほど切実になる問題である。新自由主義的資本主義体制は、いざと言う時、(労働者を)構造調整なる言葉で職場から追い出すのを‘当然で当たり前’の事としており、国家が最低の社会的生存すら保障しないと宣言する事を‘当然で当たり前’の事としている。従って、こんな体制では、生き残る為に各自が生身で‘ぶつかり競争’をしなければならない。このような時代に、食の問題ほど重要な問題がどこにあるだろうか?
 食べてこそ、最小限の命を扶持することができ、よく食べれば健康を維持することができ、健康であればこそ有効に働くことができる最小限の条件を持て、そうすることだけが(職場から)‘追い出されずに’最小限の‘人間らしい生’を営むことが出来るのだから。

‘学ぶ女子’たちが≪キャンドル民心≫の象徴に

 賢い‘学ぶ女子’たちは、この事実をよく知っていた。人間を産み育む性でありながら、社会のこの領域、あの領域で活動する女性たち。その経験をお互いが分かち合い、学びあってきた‘学ぶ女子’たちが、積極的に‘キャンドル’を掲げたのはこのためである。
 キャンドルを掲げた(中学生・高校生の)‘少女たち’が、一番最初に、街に出てきた。そして‘ハイヒール’を履いた、‘乳母車’を押した女性たちが街を埋めた。この地で例外なく‘女性’と言う名で呼ばれる彼女たちである。
 彼女たちは、毎日‘新しい集会文化’を創り出し、‘キャンドル集会’の‘象徴’になり、‘キャンドル民心’の中心にもなって、生活政治戦線の最先頭で電話をかけ、新聞購読を断り、広告主を説得して新しい情報を探し共有しながら、生活政治の実践の場がどのようなものであるのかを見せてくれもした。彼女たちの生はバタバタ暮らしながら息をしている。彼女たちの生は、誰かに強制されたり調整されたりしない、お互いがお互いを照らし合い、刺激と激励となり、生きている政治である。

いかなる弾圧もキャンドル集会の火は消せない

 ‘キャンドル民心’が一度だけ勃発したのではない。それが、大変粘り強く恐ろしいものだと言うことを李明博政権は、後になって見抜いたようである。毎日引き続く‘キャンドル集会’に、‘疎通の不在を反省する’と素早く頭を下げて切り抜けようとした李明博大統領とその政権は、謝罪すれば終わりになるわけでないことに怯え‘公安・警察権力’を使って弾圧しようとした。
 平沢米軍基地反対を叫んだ人たちを苛めてきた経験を持つオ・チョンス警察署長を登用し、‘キャンドル集会’参加者たちを殴打し踏みつけ拘束しておいて、集会の背後に(親北・左派などの)‘背後勢力’を云々しながら、この団体、あの団体、目の棘であった団体などの事務所などを漁りまわっている。謝罪は、真心からではなく時間稼ぎのための策略であったことが明らかになり、数十回変わる大統領の言葉と態度に、遂に‘あの人間を大統領に選んだ私の手を切断する’という恨み歎く声まで聞こえるようになった。(中略)

新しい政治的主体の登場を知らせる勝利

 国民たちは日ごとに‘賢く’なってきているが、李明博大統領そして権寧勢ハンナラ党事務総長とそれに連なる人たちは、‘聞きも’‘見も’しないようである。彼らは‘角’を出した乳母車を押した父母の生身の叫びを、無謀で無責任だと非難している。おおよそ、父母とは生命を保護し見守る存在である。保護し見守ることが父母だから、父母とは日常を切り盛りすることの重要性を知る人たちである。どのようなものを食べ、どのようなものを着て、何に乗り、どこで眠り、どこに行き、どのようなものを見て、誰と会うのかと言うことが、生にあっては基本だという事実を知っている人たちである。まさに彼らは‘生活政治家’たちである。
 生・生活政治は、これほど日常の中に根付いており、公権力で消そうとしても消せるものではない。‘キャンドル’集会は、まさに、その生・生活政治がどのようなものであるのかを身体で感じ、心の奥深く描けるようにする立派な学びの場である。
 放水車を前にして乳母車を押し決然と立っていた女性は、そのような知恵と決然感を見せてくれたこの時代の市民である。“私が出した税金で、なぜこのようなことをするのか?”と彼女は尋ねた。“放水車が引き下がるまで一歩も動きません”、決然と主張した。その決然感は、生命を守り育てる心と生活の中で育まれ、知恵を分かち合った女性たちが持つ生命の根源的な力から出てきた決然感である。その決然感は、結局、公権力を退かせた。生・生活政治の勝利である。
 新しい政治的主体の登場を知らせる勝利である。
    
永遠に消えない‘キャンドル’として

 キャンドル集会は、すでに勝利した集会である。キャンドル集会を通じ、私たちが考えさせられる事は、一つや二つではない。
 私たちはキャンドル集会を通じ、民主主義を生きることが何であるのかを、街頭において、身体で学び熟成させたのではないか。
 民主主義でいう言論とは何なのか。市民・民衆の祝祭が何であるのか。わたしたちは、新自由主義による‘ぶつかり競争’の中で疲れた身体と心を、道路上で共に起ったお互いに向かって暖かい視線を交し合う経験を通じ治癒してきた。また、全てを、ほんの一握りの人間のために競争させ、皆殺しの対象に仕立て上げる新自由主義の暴力の前で、私たちは何を失えば全てのことを失ってしまうことになるのかという知恵を持つようになった。そして、少女と少年たちが、いつの日か成熟する未熟な存在ではないという事実を悟った。彼らが、どれほど真摯で、勇敢で、創意的なのかに驚き、学びもした。そしてまた、この全てのことを可能にしてくれた生・生活政治の力が、どのようにして創られ分かち合われているのかを学んだ。
 この新しい経験と悟りが、キャンドル集会を通じ、私たちが受けた身体と心の糧である。ある日、漸次、キャンドルの火を消し、各自の空間に戻る時が来るとしても、私たちがそれを躊躇(ちゅうちょ)したり狼狽(ろうばい)したりする理由はない。
 私たちは、すでに自らが‘変化’しており、それが私たちの中で永遠に消えない‘キャンドル’として燃え上がっているからである。

追記―現在、韓国ではキャンドル集会の中間総括的発言が多く掲載されています。詳しくは別途にしますが、この闘いを「2008年キャンドル蜂起」“革命”という意見も含め、共通するのは革命的状況であったという認識や、「前衛」と核になる政党の不在を総括し、指導部の形成に向けて、各派の結集と団結を呼びかける主張もでています。(黄)
地方からの報告 ……………………(21)
深刻化する農山村の崩壊

野添憲治

各地の農山村にひろがる
荒廃田と廃屋

 農山村を歩くと、耕す人がいなくなった荒廃田にヤナギ・ススキ・雑草などがぼうぼうと生えている風景をいたる所で見かける。身の丈もある雑草田が何ヘクタールも続く向こうに見えるのは廃家である。、夏には道に、車に轢き殺されたヘビを見かけることが多い。雑草田でカエルが増え、それを食べるヘビが繁殖する食物連鎖のためだ。山間部には「クマに注意」「マムシに注意」という看板が多いが、人の姿はほとんど見えない。
 ここは秋田県南の羽後町にある、二四戸の山間部の集落だ。筆者は二〇年ほど前から、この集落へ年に二〜三回は行き、追跡調査をしてきた。一五年前、この集落の二〇歳以上の男性の未婚者は一一人で、そのうち五人が三〇歳以上であった。それから一五年たったいまも、この集落には結婚した者は一人もいなく、若者たちは山村の生活に絶望して、この集落を去っていった。そればかりか、農業を支えてきた老人たちも次々と転居をしている。また、七〇代の老人家族では農作業が無理になり、耕作放棄がはじまった。二四戸のこの集落では七戸が捨て作りになっているが、それが冒頭の風景をつくっているのだ。家族が崩れ、農家が崩れ、地域が崩壊している。この音が聞こえないだろうか−。この集落はまだいい方で、いまは各地で挙家離村が起きている。地響きをあげながら、山間部は崩壊をはじめている。

六〇年代をピークに
人口が減少

 秋田の県北にある上小阿仁村の人口がことし三月末で三〇〇〇人を割り、ついに初の二〇〇〇人台に突入した。この村の発足は一八八九年で、この時の人口は三二六七人だった。この村は天然秋田杉の宝庫で、その杉が盛んに伐り出されていた一九六〇年ころは村も元気で、この年の人口は六九七二人とピークを迎えた。その後、天然秋田杉が枯渇をはじめ、農業もまた減反政策がはじまり、高度経済成長が終わったころから村は衰退をはじめた。天然秋田杉が枯渇することはわかっていたが、豊かな資源で活気があったころ、やがて訪れる至言のない時代の生き残り策を、村ではほとんどやらなかった。他町村と同じに役場の新築などに巨貴を注ぎ込んだ。村内に就職する大きな企業がないため、中卒の集団就職で村から多くの少年少女たちが都市部へ流出したことも、現在の人口減少と高齢化の原因となった。
 村内には二〇集落があるが、そのうち六集落が六五歳以上の高齢者が住民の半数を超す限界集落である。また、そんないに二〇〇人近くいる二五〜五五歳の独身男性は、今後もすぐに結婚できるという見通しはなく、村を去っていく心配がある。村では付加価値をつけた木材製品の生産や販売、農産物の特産化などの構想を打ち出しているが、その作業を第一線で担う男たちがいないため、実施できないでいる。村内はいまも暗いが、今後も有効策はなく、先行きは曇っている。

農林業の衰退と
集団就職による流出

 秋田県には同じような村がもう一つある。県南の東成瀬村で、四月末の集計で男一四三九人、女一五六一人の計三〇〇〇人。五月末の集計で二千人台になることが確実視されている。
 同村は一八八九年の発足で、その時の人口は三三一一人だった。上小阿仁村の林業のように、特筆するような基幹産業もない農山村だ。しかし、敗戦直後に戦災地や引揚者などで一時的に人口が増加したのに加えて、戦後のベビーブームで急増し、一九四七年には六二二〇人とピークを迎えた。その後は集団就職を契機に減少に転じ、高度経済成長期には減少傾向にいっそう拍車をかけた。農林業の衰退とともに、人びとは働き口を求めて村を出て行った。
 村では村営住宅を整備するほか、雇用創出を目的に第三セクター(秋田栗駒リゾート株式会社)を設立して運営するなど、定住促進に力を入れたものの、歯止めをかけるには至らなかった。現在も人口減対策として有効な手だてもなく、農林業の疲弊が深まるとともに、人口は減少していくことだろう。
 昨年の一一月六日、地元の民放は今村農水副大臣が横手市旧山内村三つ又集落へ現地調査に入った映像を訪英した。三つ又集落は反収量が四二〇キロと低いが、かつては豊富な山野草をエサに乳牛や肉用和牛を飼い、集約型農家が生まれ、実績を上げていた。山菜やキノコなども豊かなうえに温泉もあり、のどかな集落であった。しかし、低乳価や肉類の下落、減反に継ぐ低米価に耐えきれなくなり、廃業に次ぐ離村が相次ぎ、田んぼの耕作放棄となり、荒廃田が続く。
 集落の代表が、「集落営農は二〇ヘクタールをクリアするにはハードルが高い。緩和して欲しい」と訴えたが、副大臣は「農は日本のふるさと。集落を守ってほしい」と言い、山村集落の切実な要望に応えることもなく、わずか三〇分で引き上げた。


               

革命21に期待する

新しい酒は新しい皮嚢(ぶくろ)に 

革命21顧問・元東海大学文明研究所教授 来栖 宗孝 


 新党準備会の発足をおよろこび申し上げます。関生支部労組をはじめ、諸労組の皆さんは、これまで労働者の待遇改善、労働条件の改革整備のため苦闘を重ね、優れた業績を挙げてこられました。この貴重な経験と成果をさらに全国的に拡大展開することを目指して、志を同じくする人びとを結集して新しい政治運動をはじめようと決意されたわけです。
 これは慶祝すべきことであるとともに、新しい苦難の道を選ばれたことでもあります。なぜならば、政党運動となると、労働者の利益のためばかりでなく、全人民の生活、福祉の向上のために闘うものとなり、最終的には国家権力の奪取のための組織であるからです。
 つまり、より高く、より広く、より大きな次元に立った言動が求められるからです。多くの課題が山のように押し寄せております。例えば、消費税(増税)、教育・福祉・医療・老人問題、さらには政党として国会はもとより地方自治体(都道府県、市町村)の各選挙への対策が求められます。自衛隊の問題。そのための、組織作り、政策作り、宣伝広報活動、党員教育等の実践が求められます。たいへんな仕事であります。新しい苦難の道と記したのはこうした理由からです。
 また、労働組合等の大衆団体と政党の関係の問題があります。
 労働組合その他の大衆団体は、党から相対的な独立性と自主性を保たねばならず、党派、大衆団体とともに、そしてそれとは別に上述のように全体の立場に立って活動するものです。
 日本では、昔から共産党、社会(民主)党とも、労働組合はじめ各種の大衆団体をいわば「固有の領土(?)」として抱え込み、自己の縄張りとして分裂構想して現在の零落状態に陥りました。その他の左翼小政党も同じです。共産党は、大衆団体を管理・支配して却って双方とも自ら発展を阻害しました。社会党は「縄張り」だけは護ったが、資金・活動家とも労働組合におんぶしてもらっていたため独自の強さを持てませんでした。
 こうした歴史上の経験から、「新しい酒は新しい皮嚢に」と申し上げる次第です。

 降って私自身はすでに米寿を過ぎ心身ともに衰弱しお役に立てそうにありません。ただ、戦前、戦中に教育を受け、一兵卒として召集され戦争と軍隊生活の洗礼を受け、敗戦後はほんの僅かですが党と労働組合運動の経験をし、貧困と窮迫のうちに日本経済の高度成長と平行する「猛烈社員」、「ソーレツ社員」ともなった一老人の経験から少しでもお手伝いできれば人生の総括ができると考えている者です。皆さんの御健闘を祈ります。

青年は荒野をめざす 

「じいちゃん・ヤングコモンズジャーナル」発行 かわぐちひろし 


 5・11「新党」準備会公然化スタート総会。新組織名称「革命21」。この名称は新鮮辛辣(しんらつ)である。この国の左翼運動史に於いて、絶えて久しい革命の二字。支配階級、その補完物、自民、公明、民主、日本共産党、社民、国民新党は戦慄おののくだろう。正に彼らの根っこを揺さぶるに値する。いまなにが明らかであるというならば、われらの頭上に覆い被さる新自由主義グローバリゼーションの黒雲を吹き飛ばし、太陽燦々の青空を取り戻すの大業である。日本を変えよう、世界を変えよう、いまここに公然スタート。

 この総会のわたしの心に刻み付けた印象二つ。一つは「新党」の新はなにか!?「新党」の新はどこにあるで、そこらを探し求めることはない。
 それは足元にある。かつてのわたしは革命の道を「唯一前衛党、中央集権型」に求めて、日本共産党から新左翼へとうろついた。その果ての崩壊瓦解。新たなスタートはこの体験の再検証から。「上意下達の中央集権型の組織構造、民衆に対する独りよがりの「前衛」意識は独善主義、権力主義、官僚主義、異論の圧殺、支配と引き回し、革命的モラルの軽視」の暴力でしかなかったの体験を再総括再検証、ぶざまな体験の汗顔の苦さを噛み締めるところからのスタートを。もうひとつは、会場に若い人が少ない。わたしは八十三歳。先は短い。わたしなりに培ってきたもろもろを次世代に渡し託したいの思い願いは切々たり。革命主体はだれか。我がやらずにだれがやる。天上天下唯我独尊。一匹狼の気概。その果ての暴走。転覆。革命主体は民衆である。
 それも集会でも、講演会、署名などに参集する。いうならば味方の人びとばかりじゃない。たとえばデモしたり署名運動したりのとき、歩道を歩いている群衆、署名にそっぽを向く人。この絶対多数の可能性に気が行くことしきりのこの頃。この人たちを関心亡き人々、縁無き衆生と割り切り、片ずけていいのだろうか!?
 そして若い人たち。彼、彼女らの中に自らの青春を見、感ずるの思い。新生は人々と共にあり、共に学び、共に進むにあり。〈共に〉の感覚の原理化を。青年は荒野をめざす。私を、わたしたちを変えよう。もいちど心に刻み付ける。日本を変えよう、世界を変えよう、わたしたちを変えよう!
■新連載(寄稿)その1

協同組合運動とは何か
長い歴史をもち、未来に繋がる協同組合運動

増田 幸伸(近畿生コン関連協同組合連合会専務理事)

関西の生コン関連中小企業の現状

 敗戦直後、日本ではGHQ指導の下、財閥解体を柱とした経済民主主義が進められました。独占禁止法や中小企業等協同組合法が制定されたのです。結果的には、独占資本(大企業)の復活過程で、経済民主化は骨抜きにされ、中小企業による事業協同組合の主体性は解体されてきたと言えます。大企業による産業支配が貫かれ、中小企業は、一部例外を除いて、重層的な下請構造に組み込まれることになります。
 70年代以降、供給過多の不況業種になってしまった生コン製造業において、関西の生コン業界は他地域と決定的に異なる事業展開が進みました。それは、生コン製造経営者と関西地区生コン支部との労使共闘が大きな成果を示しつつ前進したことです。事業協同組合に結集する中小企業は両義性を持ちます。セメント独占やゼネコン独占に引っ張られる面と、中小企業の大同団結による協同組合主体を構成する面です。そして、このせめぎあいの中で、現実的に、労働組合の指導性や産業政策の強力な展開が決定的な意味を有します。
 関西では、労使共闘の枠組みの中で、セメントメーカーの拡販の道具としての協同組合から、生コン製造中小企業と労働者が主人公となる、本当の意味での経済民主主義の第一歩をしるしたのです。この詳細は、後日報告することにします。
 現在、こうした協同組合と労働組合のイニシアティヴによる広義の意味での「生産協同組合」の試みが、関西の地で展開されています。

未来に繋がるもの

 一方、協同組合に熱い期待を寄せている最先端の人々が問うていることは、「協同組合は資本主義企業に代わる実行可能なオルターナティヴ(代替案)であるか」ということではないでしょうか。スペインのモンドラゴン協同組合企業群の取り組みやイタリアのレガ(協同組合・共済組合全国連盟)の挑戦や、直近ではベネズエラでの試みが注目されています。また、19世紀半ば以降、西ヨーロッパを中心に、様々な協同組合・協同組合連合が設立されてきました。
 こうした流れを総括しながら、現在とどう繋がるのか、日本とどう繋がるのかを明らかにしたいものです。

協同思想の普遍性

 そもそも、協同組合的思想は長い歴史を有します。だから、近代以前の心性を内に含んだ反近代を表します。同時に、近代をつまりは資本制近代を克服する契機も併せ持ちます。
 振り返れば、協同思想は古い歴史を持ちます。西欧においては、原始キリスト教の共産思想やルネッサンスのユートピア思想にありますし、日本にも中世以来、「頼母子講(たのもしこう)」や「ゆい講」などの相互扶助組織を支える思想として生きてきました。
 現代は、私的所有に基づく競争社会、資本主義が主流です。この競争社会が普遍的であるかのように現代人は錯覚しています。しかし、長い人類の歴史にあって、今日の様な自己利益を中心に考え実行する社会、利益の為なら他人を押し退けても平気な競争社会のあり方は、非常に特殊で時間的にも短い経験なのです。
 資本主義は、その誕生から興隆に至る産業革命期に、多くの貧困や疾病やモラル破壊を生みました。その後、幾分かの改善をみましたが、今日の格差社会にまで引き続いています。
 さて、資本制生産様式が主流になっていく過程において、協同思想に基づく2つの潮流が生まれました。それが、協同組合であり労働組合です。自己中心的で競争万能の社会に対し、「一人は万人のため、万人は一人のため」という相互扶助と、競争を抑制していくシステムや行動を作り出していきました。

協同組合は対抗する

 さて、1980年代以降、新自由主義という市場原理主義・競争万能の考えが世界を覆ってきました。特に、アメリカに一方的に追随する日本政府は、「構造改革」の掛け声の下、多くの分野で民営化や競争が押し進められてきました。協同組合の発展が阻害されています。
 「利益」がすべてに優先し、公共性やモラルや国民の福利厚生は片隅に追いやられ、貧富の格差が一段と開き、ワーキングプアが社会問題となっています。
 一方で、世界では国際協同組合同盟(ICA)が1895年設立され、本部をジュネーブに置いています。生協・農協・漁協・労働者協同組合・住宅協同組合・信用協同組合など94カ国の協同組合組織が加盟しています。総組合員数は7億6千万に達しています。
 ICAは、世界最大のNGO(非政府組織)として、国連経済社会理事会での諮問機関であり、国連開発計画・国際労働機関・国連食料農業機関・国連教育科学文化機関などとの密接な協力関係を築いてきました。さらに、各国の協同組合運動の多様な成果や試みが積み重ねられています。
 こうして、世界に目をむければ、現在、多国籍企業や国内大企業に囲まれながら、共同事業を成功させている事例はたくさんあります。また、協同組合運動は幾つかの試練と転機を経ています。思想闘争もありました。協同組合運動や労働運動に携わる人々に、この紙上を通じて、この世界の動きをお伝えします。そして、日本の現状に即して、今後の展望を共に考えていきましょう。(つづく)


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