四者四団体は1047名全てを
代表する交渉窓口になるか
コモンズ9月号(一頁)に、後藤さんが国鉄闘争について述べられているなかで、「南裁判長の提案は、鉄建公団訴訟団だけの解決でなく1047名全体の一括解決と闘争団・・・」について、異論があるので述べておきます。
この間の闘いを
振り返って
鉄建公団訴訟において、裁判長の和解斡旋により、当時の冬柴国交省大臣が和解斡旋を受けて和解提案をする考えがあることを発表しました。それを受け、事態が急激に動き始めた事は確かです。しかし、1047名が組合差別によって解雇されて以後の闘いを振り返ると、押さえておくべき事が幾つかあると思います。
突如出された4党合意の和解案に対し、300名もの被解雇者が鉄建公団訴訟を起こして4党合意を打ち破り、06年9月にいわゆる「9・15判決」を引き出したことは、衆知の事実です。しかし、この判決に対する意見が分かれ、判決を巡る判断も分かれました。その後、4者・4団体による「9・15判決」を基礎に据えた和解を模索する動きと、「9・15判決」をあくまで不満として闘いを続ける動きに分かれ、現在にいたるまで論争が繰り返されています。その結果として、4者4団体は、1047名全てを代表する交渉窓口にはならない状況に有ります。
問題の核心は闘う側
の大同団結にある
ここで問題とすべきは、判決を巡る判断で、結果として300名の鉄建公団訴訟団の団結が阻害されている事です。労働運動・大衆闘争において、資本・権力が多数の労働者を押さえる手段として、たえず分断による支配を強めてきた歴史があります。それは、国鉄闘争においても貫かれているのです。しかし、この事を訴える人達が、あまりに少ない事に、私は違和感を感じています。私達弱い労働者が、大きな資本・権力と闘える唯一の武器は、多数の労働者の団結以外には有りません。闘う主体の側は、いかに団結を広げ深めるかを模索する事に労力を注ぐべきであり、相手側が出した判断(判決)で、闘う側が分裂する事は相手を喜ばし、被解雇者を不利にするだけである事は明らかです。現在の4者4団体が、1047名を代表する窓口でなく一部を残した(排除)状態で和解に突き進む事は、国鉄闘争の勝利的解決と言えない状況を、闘う側が作ってしまう事になるのです。
私は、権利侵害闘争に於いて、解決をする山場は必ずあり、それがどの様な状況の時であるかは、闘いを進める主体が判断することであり、政治決着を頭から否定するつもりは有りません。しかし、先にも述べたように、闘う側が分断されている状況が、勝利的解決の状況とは思いません。1047名が、大同団結して闘いを進める環境を如何に作り出すのかが、現段階の重要な課題であると思います。
関西地区生コン支部
の闘いの経験から
そこで、私達関西地区生コン支部の闘いの経験に置き換えて、今後の闘い方の意見を述べます。
権利侵害闘争を闘う時、「階級対立」と言う見地に立つ時、相手側は、資本権力になります。この権力の中には、勿論司法である裁判所も入る事になります。つまり、相手側が出す判決に「依存」して、根本的な権利侵害の解決等はしないのです。私は、労働委員会や裁判所の「判決・命令」は、有効に活用する物ととらえています。たとえ不当な判決であっても、判決のなかで有効に利用出来る物が有れば、活用して闘いの活路を作り出すと言う闘いを、生コン支部では実践しています。
例を出すと、神戸に於ける「神友興産闘争」(現在は神友産業)は、18年に及ぶ組合差別・組合否認で闘った争議です。中労委命令では、会社側の言い分をほぼ認める極めて不当な命令でした。しかし、命令の一文に、「会社側が団体交渉に於いて不誠実な姿勢がある」と言うこの部分だけを捉え、不当労働行為企業として、関係企業や取引先に対する要請、宣伝を徹底して行い、最終的には会社側が全面謝罪し、完全勝利解決となった例が有ります。
つまり今国鉄闘争に於いて必要な事は、「9・15判決」で出された内容で和解を急ぐのでなく、又判決を巡る論争に労力を置くのでもなく、如何に判決の中で有効に活用できる部分を探り相手側に打撃を与える闘いを作り出すのかが問われているのです。闘いを組織できなければ、現在有る成果で決着を考えたり、判決の判断を巡る論争だけに労力を置く事になり、結果として解決が遅れたり、相手側に有利な解決となる事を、私達は闘いの中で学んできました。国鉄闘争を勝利するために、今、必要な事は、この様な闘いを如何に組織するかが、必要と考えています。
1 立ち上がる外国人労働者たち
今、多くの外国人労働者たちが、地域の労働運動の中で声をあげ、立ち上がっている。また、先進的な地域ユニオンでは、外国人労働者の問題に積極的に取り組んでいるところも少なくない。外国人労働者たちのたたかいは、日本労働運動の不可分の一環だ。先進的な取り組みに学び、このたたかいを地域に根付かしていこう。
私たちも、外国人研修生・実習生のケースに取り組む機会があったので、この問題を考えてみた。
2 外国人労働者の実態
詳しい人には周知のことと思うが、外国人労働者の在留資格について、概観すると、次のようなものがある。在日などの「特別永住者・永住者」、通訳や語学教師などの「国際業務・人文知識」、日系人とされる人たちの「定住者」、最近急増した「実習生(研修生)」、そして、その他の法外滞在。
政府は、外国人労働者を不安定な在留資格におくことで、労働者たちが職場で自らの権利を主張することを抑制してきた。しかし、近年、「定住」の資格を持つブラジル人たちや、アジア諸国の研修・実習生たちが、その劣悪な労働条件を告発して次々に争議をはじめている。
外国人労働者たちは、不安定な在留資格と、派遣や有期雇用といった不安定な労働契約という二重のくびきの下にある。数年間派遣労働に従事してきたブラジル人労働者たちが労組に加入した途端に雇用を打ち切られる、などの困難とたたかっている。また、「団体管理型」の研修生・実習生は、使用者団体が労働者の管理を依頼されていることから、奴隷的な人権侵害が後を絶たない。さらに、研修生は法的には「労働者ではない」とされていることで、最低賃金以下で働かされる、労災をもみ消される、ということも日常茶飯事だ。研修生・実習生たちは、使用者を不法行為で追及したゆえに、管理団体が受け入れ停止処分を受けるなど、職場それ自身を失うという事態も少なくない。
こういう事態を乗り越えてたたかっていくためには、もっともっと多くの日本人が外国人労働者の支援に協力して当たることが必要だ。
3 外国人労働者は労働者階級の不可分の一翼
外国人労働者について、「排除か、受け入れか」という議論もあるが、外国人労働者の増加自体は、経済的な必然性をもった流れであると思う。
グローバリゼーションと新自由主義の中で、資本がより安い労働力を求めて次々国境を越えていく。同じように、先進国の国内に留まった資本が、より安い労働力である外国人労働者を求めるのは唯物論的必然だ。
これに対し、私たちは、外国人労働者の無条件の在留権と人間としての当たり前の労働条件を求めて、たたかっていくべきではないか、と考えます。
連載
鹿児島のホームレス支援と行政の現状
そして「新しい公共」とは(2) |
ホームレス生活者等の存在を「自己責任の結果、他人事」としてしまうことで、翻って自分自身もその「自己責任」を引き受け、形式上は「自分の意思」で、実は「強いられた長時間労働、過労死」をも含め「与えられた環境であって適応以外に出口はない」とする多くの市民の現状がある。とりわけ、ホームレス問題について「興味もないし、時間もない」と応えた労働組合さえあったことは、その象徴の様であった。ホームレス生活者等の存在とその背景について、まるで「社会など存在しない(サッチャー)」かのように、「誰にでも必要なセーフティネットの機能不全」といった社会的課題の深刻さの反映として想像する「ゆとり」も失っているのかもしれない。あるいは、自然災害であれば力を合わせて救援に協力するだろうが、やはりそこには差別と偏見が繰り返し再生産され、その目を曇らせているのかもしれない。
そして、過去三年余りの活動の中で、鹿児島でもホームレス生活者等が、孤立したままの状態で放置されれば、いつでもまた、生活保護行政の水際作戦や裁量権の逸脱、就労指導等での耳を疑う様な暴言、また、ただでさえ熟睡もできない中での野宿者襲撃など、命さえ危ない無人権状態に晒される社会的存在としてあるということを知った。単なる意識上での人権の啓蒙では、私たちの社会に存在するもし仮に名付けるならば「評価メカニズムといったもの」によって、「他者の尊厳」という価値の存在が常に掘り崩され、人権は常に形骸化する危険につきまとわれているといえる。これに対し私達は、ホームレス自立支援法の有無に関わらず、今後も、諸団体と協力して、事業を更に強化し進めていく必要を痛感している。
鹿児島市のホームレス生活者への生活保護適用状況と問題点
鹿児島市の現状
わが国では、1990年代半ばから顕著に、「新しい排除」とも言うべき、家族・地域・企業の包摂力の衰退に伴う、複合的な「社会的な援護を要する人々」が産まれて来た。ホームレス生活者はそうした複合的困窮によって、路上に出ることを余儀なくされた究極の人々と言えるだろう。その複合的要因に、これまでの行政施策が追いついていないことは、旧厚生省の2000年12月の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」報告書も認めるところであった。(つづく)
堀之内洋一
NPO法人かごしまホームレス生活者支えあう会
アメリカ大統領選を考える1
| 2008年末の米・日両大国における政治的大激動の開始 |
オバマ候補の優勢
米民主党支持の「ブルーステート」か、それとも米共和党支持の「レッド・ステート」か、が問われる「運命の日、11月4日」は、(いまだ無所属を標榜している「パープル・ステート」の動きもあるが大勢を左右するものとはなりえず)、アメリカ建国以来最初の黒人大統領となるオバマ民主党候補の圧倒的勝利へと、まさに疾風怒濤の勢いで猛進しつつある。
「ブッシュ・シニア共和党大統領以来の米共和党の大失政をこのまま続けるのか、それとも、今こそチェンジの時とするのか、選択的にこの二つだけである」と民主党オバマ陣営が訴えれば、共和党マケイン陣営は窮余の「一大助っ人」としてこれまで全く無名の女性知事のサラ・ぺイリンを「副大統領候補」に大抜擢して、「既存のワシントン政治を変革する!」「実行するのはわれら共和党である」と、迎え撃っている。
その「トス・アップ(コイン投げ)」は、
果して、民主党オバマと出るのか、
それとも共和党マケインと出るのか?
黒人であるオバマ候補にとって、「黒人の成功」を前面におしだすことの危険性は、故キング牧師の事件以来45年の歳月を経た今日でも巨大なものがある。今から4年前の民主党全国大会において、「白人のアメリカ、黒人のアメリカも今やない。在るのはただ一つ、アメリカ合州国だ」と基調演説を行い、絶賛を浴びて大統領選候補への階段を、前例のない急速度で一気に駆け上がったオバマ黒人候補ではあるが、アメリカ現代社会の人種の壁はまだまだ厚い。
共和党マケイン陣営から「オバマは美辞麗句だけで、中身が全然無い」と批判されつづけているオバマ候補は、「チェンジの中身」を「具体的に」アピールすることに努力している。その結果、「代替エネルギーの開発を促進し、メタノール燃料のトウモロコシの生産を拡大させて、中東からの石油への依存を10年以内に解消する」「労働者家庭の95%で、税負担が軽くなるように、減税を実施する」といった具体的な政治公約を行い、メディアの高い評価を博しつつある。
マケインによるぺイリン女史の
副大統領候補への起用
アフガン・イラク侵略・占領戦争を最後の最後までごり押ししたブッシュ共和党政権、そのイラク侵略・占領が招いた原油高と食料価格暴騰と、同じ共和党のマケインが最後に放ったぺイリン知事の副大統領候補への起用が起こした騒ぎに、今日になっては「サラ・ぺイリン女史は果して役務を果しうるのか」といった冷静な問いにすっかりとって代わられてしまっている。
これが今日のアメリカの
政治舞台のことごとくに
共通している最大の疑問である
何しろ、ぺイリン女史はアラスカ州知事在職期間のその前に、人口わずか7000人ほどの地方都市の市長でしかなかったのだ。だからマケイン共和党候補が必要としていた「一気に全米の話題を唆えるロケットブースター」の役割をぺイリン女史が果すことは所詮出来ない相談だったのである。
この「ベイリンへの不安」は、「マケインの不安」によってより一層倍化されている。つまり、過去にガンを患い、老齢のマケインが仮に大統領と成ったとすれば、執務不能に陥った時の後は、ペイリン女性副大統領を昇格することであるが、チャチな「ロケットブースター」のイメージだけが先行している彼女のリアルな現実的政治力は、ほぼゼロに等しいと堅実な有権者の誰もが思っているからだ。
世界信用恐慌の大勃発の開始に
照応した政治的大激動が始まった
このようにして「運命の日」11月4日のその日が明ければ、オバマ米民主党黒人大統領の圧勝は絶対に確実となった。このオバマ黒人大統領の画期的実現は、直ちにアフガン・イラクの侵略・征服戦争からのドル・核世界帝国の決定的撤収をなし、それはまた取りも直さず、完全な没落期へと入り込んでしまっているアメリカ反動派に追随して、インド洋上での米艦船に対する給油をし続けている自民党・公明党政権の米日安保「運命共同体」による抱き合い心中を決定的に加速していくであろう。
ときあたかも5人のどんぐり候補の中から抜け出した故「吉田首相の孫」麻生新首相の「最初にして最後の」政治的行為は、臨時国会冒頭での「国会解散・総選挙」の宣言になるのは必至である。
そして、その久方ぶりの国会解散・総選挙の不可避の結果は、間違いなく、必ずや戦後63年間君臨し続けた自民党独裁政権の最終的没落であり、民主党小沢一郎総裁の「大連合政権」の画期的出現の大勝利となろう。
その政治的激動のはじまりのなかで、わたしたち「革命21(準)」は、全国的なマルクス主義に立つ運動型新党の創設へ向かって、全力を挙げて活動せねばならない。
このように、2008年末、世界信用恐慌の大勃発の始まりにものの見事に対応・照応した政治的大激動が始まったのである。(M)
ことしの秋田県の八月は、近年になく雨が少なく、晴天が続いた。雪国秋田にしては珍しく、気温が30度を超える日が一週間も続き、病気になる人が続出した。水田や畑では水不足となり、立ち枯れ寸前までいった。川の水が不足し、上水道の水が使えない町村もあった。異常づくめの夏だったが、下旬に数日の雨があり、最悪の事態はまぬかれた。県外では逆に豪雨に襲われた所もあり、社会の乱れが天候にもおよんだのかと思いながら夏を過ごした。
そして九月になった。30度を超えた日が何日か続いたものの、この稿を書いている九月10日前後になると例年のように朝夕は涼しくなり、空は底がぬけたように碧く澄んでいる。異常なほどの水不足だったが、台風らしいのが一度もなかったので、稲は黄色に色付きはじめ、畑の作物も順調に生育している。果樹園ではブドウに続き、ナシやリンゴの収穫がはじまっている。夏は狂っていたが、秋は例年のように順調に深まっている。
いま、わたしは畑には直接関係していないものの、時間があると低い山に登り、早朝には家の近くの松林や草原を一時間ほど歩いている。若い時に山で育ち、田畑の仕事をしていただけに、自然に触れていないと心が落ち着かない。自然は体にも心にも、生きる力をあたえてくれる。
だが、秋田でこんな暮らしをしていながら、とくに数年前から「おかしいな」と思っていることがあった。それはわたしが歩く狭い自然の中で、さまざまなコン虫が消えてきていることだった。夏になると早朝からジイジイゼミが鳴き、夕方になるとヒグラシに代わった。子どもたちを連れてセミ取りにも歩いたが、最近はそのセミの鳴き声を何回か聞いただけで秋になった。小金井市に嫁いでいる二女が帰った時にその話をしたら、「小金井には鳴き声がうるさいほどセミがいるよ」と言っていた。山に行くと家の近くよりは多いが、若い時に山村で生活していた時ほどは鳴いていない。
セミと同じに、トンボもいなくなった。山村で暮らしていたころ、秋の夕陽をあびたアキアカネの群れが空を埋めつくしていた。最近はそれほど多くはないが、わが家の狭い庭にも飛んできていた。それがことしは一匹も飛んでこないのだ。トンボだけではなく蝶も少なくなり、森や松林を歩いてもたまに見かけるだけで、以前のように夏や秋の空や草花の上を蝶が乱舞する風景はなくなった。
よく注意して見ると、益虫や有用コン虫などが姿を消しているのだ。夏から秋にかけて草原や山林を歩くと、クモが沢山巣を張っているので、棒を持ってこわしながら歩いたものだが、そのクモの巣を見かけることも少なくなった。いったいどこに行ったのだろうか、なぜ消えてしまったのだろうかと思いながら低い山を歩き、草原や山林、松林などを歩いていた。自然の中には昔のように益虫も害虫もいて、ハチの巣を落として追われ、二〜三カ所刺されて腫れたコブを、痛いとなでなでながら山で遊んだり、働いたりするのが活気があっていい。単純になった自然は住みいいかもしれないが、魅力がないと最近は思うようになった。
過日、能代市に住む養蜂家の宮腰久輔さん(72)を取材した。大学に進みたかったのだが、父に説得されてこの道に入って40年。いまは冬期間は三重県熊野市でハチを繁殖させながらレンゲやミカンのミツをとり、五月下旬になると秋田に帰ってトチやアカシアなどをとっている400箱を持っている数少ない専業の養蜂家だ。苦労の多い仕事だが、はじめて聞く養蜂の世界はおもしろかった。しかし、次のような話になったとき、わたしが最近疑問に思っていたことが、「ああそうだったのか」と納得させられた。
「わたしは400箱を持ってますが、ミツをとるのと、花粉媒介をするハチの2つがあるのです。前はミツをとるのが多かったんですが、いまは花粉媒介のハチが少し多くなっています。いまはメロンやスイカをハウスで栽培している農家が多いですが、花が咲いたハウスにハチを入れないと実が成りません。それからミカンもそうだし、広い面積にカボチャを植えても、天然のハチやチョウが少なくなったので、なかなか花粉媒介がされないのです。そこでわたしたち養蜂家のハチを持っていくのですが、いま4つの農協と契約してハチを放してますから、こっちの方が忙しいのです。おそらくこれからは、ミツを取るよりも、こっちの方が忙しくなってきますよ。大変な世の中になったと、わたしは心配しているんです。」
水田の薬剤防除に飛行機を使い、広い面積に散布している。また、わたしの住む能代市には海岸に沿って約14キロ、面積670ヘクタールの中に約700万本のクロマツの砂防林がある。このクロマツの虫を防除するため、初夏には大型機械で薬剤を散布して、虫たちを殺している。稲やクロマツを守るのが大切なのはもちろんだが、花粉の自然媒介が難しくなり、養蜂家のハチを動員しなければ農業をやれなくなっているのも、大変なことではないだろうか。
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