
アメリカの破綻は問い直すチャンス
主体の発想の転換と
自己革新が試される時代に |
|
沖縄からアメリカの変化をどうみるか
――世界金融恐慌の急進展のただなかで、アメリカにアフリカ系黒人大統領が誕生しました。このアメリカの変化を、沖縄からどう見ていますか。
新崎 今の米国発の金融危機に始まる経済的な大変動は、少なくともアメリカ主導による資本主義体制の破綻であることは間違いないわけです。オバマの登場は、そういうアメリカの危機的状況が背景にあって、実現していることです。しかし、オバマの登場でアメリカや世界に革命的変化が起こっているわけではない。僕はオバマ大統領誕生と新政権を、一般のマスコミや左翼の一部の手放しの期待感の表明のような過大評価も、だからといって「オバマになったからといって大した変化はない」という過小評価も間違いだと思います。超大国である米国の破綻の中で、それをとりつくろう役割を果たすために彼は登場してきたわけですから。そして、策を弄して延命を図る麻生政権の命脈が尽きるのも間もないですね。
われわれの立場から言うと、既成の体制の断末魔のあがきで状況が流動化し、その終焉の訪れは、われわれをも混乱に巻き込みかねない危険と共に、既成の体制に歪みを押し付けられているわれわれや少数派にとって、これを是正し自分の主張を貫く好機であると、認識しています。これが僕の基本的な捉え方です。
――この変化は、日米安保同盟と沖縄にとってどうプラスに働くか。どのようにお考えでしょうか。
新崎 日米同盟ということでは、色んな側面が複雑に現れてくると思いますね。オバマが米軍をイラクから撤退させると言っても、他方でアフガンに力を注ぐと言っているわけで、基本的にはブッシュと同じ対テロ戦争の遂行ということです。しかし、北朝鮮問題で
は、ブッシュ政権末期の6者協議における融和政策への転換は、結局は、イラク戦争など対テロ戦争の破綻の中で、そういう具合に動かざるをえないように強いられたからです。恐らくはオバマも、この融和政策を継承せざるを得ない。こういう中で、日米関係は、建前上は日米双方が相手との同盟関係の重視を言いつつも、現実的にはぎくしゃくしてくる。例えば、アフガニスタンやパキスタンでの日本のさらなる協力の要求など。それに対応するだけの準備は日本にはない。逆に北朝鮮問題では、日本は北朝鮮を敵視することによってナショナリズムを煽り、北を口実とした軍事力の強化とかを意図する保守勢力はまだ根強い。だから、日米両政府の政策が、アフガンと北朝鮮問題のねじれのように、問題を抱え込まざるを得ず、その修復をめぐって困難性が生じる。この困難性がこちらの有利な条件になると思いますね。
日本にとって沖縄とは何か
――現下に進行している米軍再編問題など、日米両政府の困難性をどうこちらの好機にしていくのか、についてお聞きしたいのですが。そこに入る前に、まず、《日本にとって沖縄とは何か》を沖縄現代史の中に振り返っておきたいのですが。
新崎 ご存知のように、太平洋と東シナ海に挟まれた島々に、15世紀には琉球王国が形成されていた。1609年に薩摩藩が琉球を侵略して琉球の一部(奄美諸島)を直轄植民地にし、1879年に明治維新という天皇制中央集権国家日本の形成過程で、琉球諸島全体が沖縄県となった。いわゆる「琉球処分」です。そして、沖縄の戦後は、沖縄戦から27年に及ぶ米軍支配の時代と、1972年5月の返還以降の二つの時期に分けられる。この二つの時代を貫いて、沖縄は日米同盟の根幹に位置付けられてきた。だから沖縄現代史は沖縄民衆と日米同盟との闘いの歴史でもあったのです。
占領当初は、米軍部の意向を反映するかたちで、日本の非武装化と沖縄の軍事要塞化は一体不可分のものとして出発したが、間もなく、対日平和条約第三条で沖縄を日本から分離し、同時に日米安保条約によって、米軍が日本全土に軍事基地をもち、駐留する方向に政策転換した。
――なぜ、アメリカは沖縄を日本から分離したのですか。
新崎 それは、主権国家の憲法や国内法の制約に左右されずに、自由に基地を建設し、使用することが出来るからです。日米安保体制は、米軍政下に置かれた沖縄によって外から支えられ、沖縄住民は全くの無権利状態に置かれたのです。
沖縄「返還」の本質
その後、1960年に安保条約の改定を経過し、米軍支配に対する沖縄の民衆運動は世界的なヴェトナム反戦運動と連動して反基地闘争へと発展し、ヴェトナム敗戦と同時に沖縄基地維持の責任を日本に分担させる方向に転換せざるを得なくなったアメリカと、経済大国となり軍事大国を目指していた日本の両政府は、この問題を「沖縄返還」によって解決しようとした。この意味で、1972年の沖縄返還の本質は、沖縄の日本への統合を前提とする日米安保体制の強化に他ならなかった。いいかえれば、日米安保体制を外から支えていた沖縄の役割は、それを内から支える役割に位置付け直されたのです。こうして沖縄社会全体が、47都道府県の一つとして日本の制度に組み込まれ、政党・労組・その他諸組織も本土のそれに系列化され、闘いの基盤となるべき沖縄社会の地域共同体的性格は弱体化されていく。
以降は、東西冷戦型対応の日米安保体制を、アメリカの一極支配対応型に対応する安保再定義と少女強姦事件を契機とする1995年の8万5000人の県民大会に表現された「島ぐるみ闘争」があり、日米両政府による日米地位協定の運用見直しと基地の整理・縮
小・統合を内容とするSACO合意となる。この目玉が普天間基地の名護市辺野古沿岸移設です。
――97年の名護市民投票によってそれは否決され、今日までその新基地建設のためのボーリング調査を阻止する住民の闘いが続けられ、当初計画を破綻させてきましたね。
新崎 名護市民投票は、住民の自己決定権の行使といってよいですね。そうして、2001年9月11日の同時多発テロ事件を契機に、ブッシュ政権の「対テロ戦争」の始まりとアメリカの新しい世界支配戦略に即したいわゆるトランスフォーメーション・米軍再編が始まったのです。
この米軍再編は、座間、横田、厚木、岩国などの米軍基地と自衛隊基地からグアムまで広範囲の再編ですね。沖縄については、@V字型滑走路を持つ辺野古沿岸域新基地の2014年完成目標、A8000人の第3海兵機動展開部隊とその家族のグアム移転、その必
要費用の6割の日本負担、B陸上自衛隊のキャンプハンセンの使用,航空自衛隊の嘉手納空軍基地での米軍との共同訓練など。
教科書問題で11万余の結集の意味
そうした状況下で、07年3月、高校日本史教科書から、沖縄戦での「集団自決」における日本軍の直接関与・強制に関する記述が修正・削除される教科書検定問題が起きた。沖縄戦は、日本の本土防衛のための「捨石作戦」としての地上戦であった。そして、その直後の5月には、辺野古の住民闘争に戦後初の海上自衛隊の掃海艇「ぶんご」を派遣した。このような状況に抗議するため、9月に「教科書検定意見撤回要求県民集会」が開かれ、沖縄現代史上空前の11万人をこえる人々が集まった。この結集は、「日本にとって沖縄とは何か」という問いかけでもあると、僕は考えています。
――この抗議の根底には薩摩藩の侵略・併合以来の琉球処分についての怒りがあり、何よりも沖縄の問題は、日本の問題なのだということですね。
困難性を有利にする主体の問題
新崎 だから冒頭の設問にもどると、現在進行中の米軍再編の問題も、これまで強引に推し進めてきた政策がある意味では破綻し、ごり押しできない部分も出てきている。しかし、逆にそういう日米両政府の政策的なずれ・ねじれ、日本の政府、権力内部の矛盾を突いていくこちらの主体の力量がどこまであるのかというと、これも今、分散化というか、主体がきちんと確立されていない。
例えば、全国的な米軍再編特措法の関連でいえば、政府が関連自治体を金で押さえつけるという政策が、表面的には成功している。沖縄の名護市から、岩国、座間に至るまで。そういうように、権力側の脆弱な基盤のほころびがどんどん表面化しているにも関わらず、一方では、政策の進捗もある。そこでどうなるか。これから、この辺の重要性がどこまで幅広い認識を持って結集できるのかが、一つの大きな問題です。
沖縄に絞っていうと、先ほどもふれたように、あの11万数千人の教科書問題に対する県民大集会は、単に教科書検定意見に対する反発として行われたのではなく、現在の沖縄が直面しているさまざまな矛盾の総体に対する反撃の表現だと僕はとらえている。仮に集会の名称やスローガンが教科書検定意見の撤回に集約されていたとしても、現在の沖縄が直面している矛盾の一番見えやすいところ、感じやすいところを軸に、あれだけの結集があったと思っている。例えば、あれだけの民衆を突き動かした根底には、「ぶんご」の辺野古への出動に対する危機感が間違いなくある。
沖縄は新しい局面を迎えている
ただ、それだけのエネルギーの結集があったにも関わらず、それを活かしきれていないという面もあり、じゃあそれが全然ないのかというと、必ずしもそうではない。例えば、今年の6月の県議選などは、大方の予測を超える結果だった。なぜ、県議会に与野党逆転現象が起こったか。教科書問題がくすぶり続けている6月選挙の前の2月に、米兵による女子中学生のレイプ事件が起った。特に週刊新潮なんかが被害者を追い回すようなことがあって、被害者の周辺はパニックになって告訴を取り下げた。県議会の多数派だった自民党や公明党も「直接の被害者がそっとしておいて欲しいと言っているのだから、そっとしておこう」というのを口実に、運動の盛り上がりを抑えようとし、それで、3月の米兵犯罪糾弾県民大会は全政党を網羅する県民大会には出来なかった。しかし、出来なかったじゃないかということに対する答えは、今度は6月の選挙に出てきたと、僕はそう見ている。それは、沖縄民衆の鬱積(うっせき)したものが、選挙という局面で表現され、反自公勢力が過半数を占めた県議会は、辺野古新基地建設反対の決議をした。僕は、このことを過大評価も過小評価してもいけない要素だと見ています。
こういうジグザグな動き。主体の弱さ。せっかくのエネルギーを掴めないもどかしさ。そういうのが重層的に起きており、それをどう掴んでいくか。沖縄の情勢は、新しい局面を迎えようとしていると、僕は見ています。
沖縄における「発想の転換」と主体の自己革新
――その主体の問題は、沖縄ではどういうかたちで模索されているのでしょうか。
新崎 実は、ささやかな試みの一つなのですが、去年の四月に、大学の教員やOBが「いまこそ発想の転換!実行委員会」なるものを立ち上げて、押し付けられた常識を覆すシンポジウムなどというのを何回かやっている。ぼくも参加していた「対外問題研究会」という日米の政策を勉強してきた会がその母体になっているのですが、県民が思考停止に陥っているかに見える閉塞状況を打開するためには、われわれも単なる勉強会の枠を超えた社会的発言をして、沖縄の人々を萎縮させ、思考停止させてきた思い込みや常識を問い直し、誇りと自立心を取り戻す活動に参加する必要があるのではないか、と考えたのです。
――具体的には、どんな発想の転換なのですか。
新崎 「押しつけられた常識を覆す」を主題として、第1回は「安保・開発・環境の視点から」、第2回は「経済の視点から」としてやりました。そこでは、「国防とは国の専権事項」「沖縄は基地がないと食っていけない」「北朝鮮のミサイルが飛んで来たらどうする」とか。そういう言わば、選挙のときに保守派がよく使うような常識。「基地に反対しても結局は造られるのだから、せめて金(振興策)だけでも取っておこう」のような常識をどう覆すかというので、具体的なデータを挙げながら、環境問題・経済問題・政治問題の一つ一つについて、例えば「アメリカ軍部の観点に立っても米軍再編というのは必要不可欠のものなのか」とか、「基地がなければ沖縄経済は成り立たないのか」とか、「独立、自立して沖縄経済はやっていけるか」とか「豊かさとは何か」など、論議を公開で積み重ねている。これが、200人くらいの会場に入りきれなくて、立ち見が出て、それでも入りきれないから別の部屋でスクリーンをみてという状況が生まれてきているんですね。
その中で、僕が感じたことは、「押し付けられた常識は、すでに覆りつつあるのではないか」ということでした。そこに集まっている人たちはどういう人たちかというと、「押し付けられた常識の欺瞞性」を再確認したい、そしてその再確認を通じて今後どうするのか、「あるべき沖縄社会像」を見出したいという人で。今増えてきている。そういう試みが、僕たちだけじゃなくて、いろんなグループで始まっている。だから、あるべき社会の青写真が簡単に描けるとは思わないが、初歩的な手がかりは提起できたと思っています。沖縄社会の未来像は、こういう言論活動と辺野古における現地闘争を先頭とする大衆運動、各種の選挙を含む政治運動との相互交流の中から紡ぎだされてくると考えています。政府や全国的な企業ジャーナリズムによって、「沖縄で基地反対というのは結局は金が欲しいからだよ」という固定観念が強固に刷り込まれている。沖縄県知事や名護市長は、確かにそう思わせる発言をしている。だから、知事や市長からでなく、沖縄の民衆がもう少し発信力を強化しない限りは、中央のジャーナリズムの歪んだ沖縄観を壊してはいけない。色んなレベルでそういう作業をやって、それがこの流動化した状況をどう動かしうるのか。こちら側も試される時代が急速にやってきている。そういうことではないでしょうか。
――新しい状況と主体の困難さ、芽生えつつある可能性とが絶えず入れ子になっているところが、新しい時代の始まりの特徴ですね。ヤマトでも同じです。新崎さんは、日本の「対米一辺倒」の根っこにある日米安保問題を、ヤマトでも左翼も含めて全面に掲げて闘わなくなってきた状況についてずっと問題提起をなさってきた。今、日米安保体制からの離脱ということについては、どうお考えですか?
新崎 「日米安保体制からの離脱」というのか分からないけれども、要するに、沖縄でいうとすれば、われわれがなぜ基地に反対するのかというときに、基地の被害とか騒音とか犯罪とか直接的な被害と、この基地が対外的にどういう役割をしているのかという問題があります。要するに、日米同盟とか安全保障とかいうものを、根幹から違う発想で相対化していく必要があると思っています。
例えば、北朝鮮がどういう理由でミサイルを撃たなければいけないのか。確かに彼らは異常なほどの軍事態勢をとっている。しかし、なぜ、彼らはそうするのか。そこには、日本の過去の侵略や現在の日米の敵視政策があるわけで、彼らが周辺からの脅威に対してハリネズミのように構えているということに過ぎないわけです。そういうことを軍事的に対抗するのではなくて、別のやり方というのか、力を持っている方が力を削減していかない限り、問題は解決しない。
例えば、同時多発テロという9・11の問題も。何もないのにあれが起こったわけではない。そこにはアメリカの侵略と戦争の歴史とか、そのことによって経済的な収奪だけではなく、様々に人間的な誇りを踏みにじってきた歴史がある。これを今後無くすためにはどうすればいいかといったら、軍事力を強化することでも、どこかを攻撃することでもない。もう一度、強力な軍事力をほとんど独占している側が自らを反省していく以外にあり得ない。日本はその片棒を担いでおり、片棒を担ぐことが利益だと考えている。そこから変えていかなければ、というか、問い直していかなければ、先は全然見えてこないのではないか。
そこを問い直す一つのチャンス、時期として今は適切な時だと思います。アメリカも破綻して政策転換を迫られているのですから。
米軍再編の問題に戻っていうと、従来、基地問題は沖縄問題で、沖縄に封じ込めておけば何とかなった問題だった。それが、岩国とか横須賀とか、座間、厚木だって、ああいう形になってきた。今までと同じ状況でいかないでしょう。だから、その中で運動自体が自己革新をしながらどうしていくのか。それはまさに辺野古にも問われているわけですが。
自己革新をしながら、新しい状況にきちんと対応していかなければいけない。
運動の側の自己革新
――自己革新をしていくときには、わたしたちの経験に照らしても、一旦停滞したり、矛盾がわっと現れてきてそこで思考が止まったり、人間関係がぎくしゃくするとかがありますね。沖縄の場合には、その自己革新のエネルギーは、このシンポの言論のイニシアティブとか、辺野古での主体的な討論とか、一つではなくていろいろのところから相乗作用しながら生み出されつつあり、そこに可能性を見ておられるわけですね。
新崎 そこに可能性はあると思います。ただ、楽観的に何かが見えている訳ではない。つまり、一方では沖縄を取り込もうという面と、逆の面では例えば、産経新聞などを足場にしながら、「沖縄には言論の自由がない」と、いわば地元の新聞が扇動して、特殊沖縄的な言論空間をつくっているみたいなそういう沖縄攻撃も出てきています、最近は。非常に単純ではない要素が出てきていて、そういうものもきちんと見据えておかないと、色々な形で足をすくわれる危険性もある。この辺をわれわれは自覚しておかなければいけないのです。
東アジアの中の沖縄、触媒的役割を
――09年の運動戦略、具体的な組み立てに関連して、東アジアの各国・民衆がすでに国境を越えて交流し、安全保障の問題も東アジアレベルで構想する時代の沖縄という観点からはどうでしょうか。
新崎 そうした問題で言えば、90年代の後半から、韓国の米軍基地に反対する運動との連携というのは非常に強くなってきています。
我田引水的に卑近な例でいいますと、昨年夏ぼくの『沖縄現代史 新版』(岩波新書)がハングル訳をされて韓国で出版されました。この本は、ぼくが書いた岩波新書で最も売れていない本なのですが、今年の秋には、中国で中国語訳が出版されることになっています。そんな現象を見てぼくは、沖縄が日本に埋没してしまったかに見える現在、逆に韓国や中国では、日本から相対的に自立した沖縄の存在が認識され始めてきたのかな、とも思います。これがどこまで当たっているかどうかわかりませんが、私たちが、東アジアとの連携を考え、お互いの国境の垣根を低くして付き合いを深めていくことを考えるときに、歴史的にも地理的にも独自な立場にある沖縄は、ある意味では触媒的な役割を果たせるかなということを、特に強く感じます。
もう一つはやはり、中国・韓国・台湾という周辺とどういう関係を結んでいくかでしょうね。今、韓国政府、中国政府の政策にしても、われわれとしては納得のいかないことはたくさんあるわけですが。但し、中国みたいにかなり権力統制の強いところでも、台湾と中国の人が一緒に会議をするようなことも出来てきているわけで。そういう内部からの動きにどう、政治権力の側も対応せざるを得なくなっていくか、という問題を、もう一つつくり出せるかどうかの問題もあるでしょうね。
根っこの同じ運動のネットワークを
――90年は、総選挙が確実にありますね。その辺はどうお考えですか?
新崎 僕は、沖縄の地域政党としての社会大衆党を軸として、どのような野党連合みたいなものがきちんと作れるかどうかが非常に大きいと思います。今度の県議会決議だって、結局足並みがそろわなければあれはできなかったわけですから。
選挙問題で言えば、山内徳信が知事ではなくて、国会に出て行ってしまったことは地元の大衆運動にとってはマイナスの面もありますね。例えば、彼が基地の県内移設に反対する県民会議代表だったので、今や代表がいない。沖縄では国政選挙よりも、地域の選挙のほうが重要視されなければならない面がある。とくに重要なのは名護市長選挙とか、知事選挙でしょうね。総選挙でいうと、何とか県議会の決議の線に立てる沖縄選出議員が多数を占められるかどうかということじゃないですかね。
――ヤマトの労働運動や市民運動への問題提起をいただければ……。
新崎 僕自身は、年齢的体力的限界も痛感しているので、できるだけ沖縄に立てこもってやろうと思っています。それしか守備範囲もないだろうと思っているので。そのうえで、いろんな少数派の運動の具体的なネットワークをどうつくっていくかということではないかと思いますね。例えば、東京でいえば、君が代・日の丸の問題とかね。ああいうものに対する粘り強い抵抗みたいなものが、どのように日本の今の方向性に対抗できるのかとか。そして労働運動や反基地闘争とかがどう結びつき得るのか。
沖縄でも同じです。教科書検定の問題と現在の辺野古の問題と、泡瀬の判決の問題。そういうのが、根っこが一つだというのを何となく感じているのを、どうやってうまく組織的なゆるやかなネットワークみたいなものをつくれるかというのから始まって、常にこれから色々と流動化し変化してくる状況の中で、出来てくるすき間に何を突き出せるのか。これがヤマトに対してというよりも、沖縄でもヤマトでも共通の課題ではないんですかね。
沖縄は狭い地域だし、独自の歴史的な流れもあって、色々結びつきやすいところがありますけれど、ヤマトだってそういうのをヤマトの広がりの中で、一見質の違うように見えながら根っこが同じものをつないでいって、一つの力になし得るのかということでしょうね。
――沖縄に矛盾が集中しているからこそ、その重圧と困難さの中に育まれ紡ぎ出されてくるオルタナティブの質は、普遍性を持っていると、今のお話しを聞いておりました。日本を変える運動の真っ芯のところで、日米安保と闘うことが問われており、共に闘ってゆきたい。示唆に富むお話をありがとうございました。
 |
新崎盛暉著
『沖縄現代史 新版』
岩波新書
780円+税 |
|