第8号(2009/2/1)●6-7面
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歴史的大転換期の新年に想う(2)

1925年うまれの
2009年………


じいちゃんジャーナル主筆
かわぐちひろし
 わたしは1925
年生まれだ。この世代は大正ラストランナー、昭和ファーストランナーである。大正の記憶はない。昭和、これははじめからしまいまで、どっぷり付き合わさせてもらった。さらに平成と年を重ねて、83年にんげんをやっている―――。
 いま2009年。2007年7月サブプライムローン問題に端を発し、2008年9月リーマンブラザーズ破たんになだれこんだ大恐慌真っ只中。昭和日本は、1927年金融恐慌にはじまり、1929年世界大恐慌になだれこんだ。
 これは幼年期のわたしの認識にはない。が、なにやら歴史が一巡りしたような感覚を覚える。この二つの大恐慌、歴史に生きて、生きている、実存する身としてこの課題にどう処するやに立っている。新年の出発に在って認識が問われている。さて、1920年代大恐慌は戦争に突入した。1931年、日本帝国主義の中国侵略にはじまり、1939年ナチズムドイツのヨーロッパ大戦、1941年日米帝国主義戦争の第二次世界大戦展開となる。このわたしの
少年期〜青年期の体験過程は生々しい。それはつい昨日のことだからだ。1932年〜1938年、小学生のわたし。戦争は海の向こう。
 ススメススメ兵隊ススメ。やっちゃへドンパチ。その半面、戦死者の慰霊祭でズラリ並んだ白木の箱に近い将来の自分をみるおもいはたまらなかった。1939年〜1945年、海の向こうの戦争は日本本土の戦争となる。激化する本土空襲、正に近代戦のなにたるかをみせつけられた。そしてゲンバク。あの時点ではなんのことかは分からない。敗戦の日。長かった戦争のおわり。やれやれやっとおわったか。
 お呼びもこず、命を拾い、まずはよかったのう。
 被害者意識ばかりの加害者意識ゼロ。そして64年後の今日。敵失を逆手に取っての反転攻勢の最大チャンス。支配者にとっての大災難を至福の武器に転ぜよ。まずは晴朗の朝ぼらけ………!
 わたしは年賀状にかく記した。
 停止した時間
 停滞した時間を
 ながれる時間
 ひろがる空間に
 解き
 放て。
 まことめでたい2009年ことはじめ!

精神科診療所の窓から雑感


精神科医 
神子上 徹(みこがみとおる)
 還暦を過ぎ、もう半ばのこの頃、残された人生もわずかと思いつつ、闘いの中で死んでいった人たちのことがしきりに目に浮かんできます。望月上史、山田孝、藤本敏夫、中島鎮夫。後に分派していくけど、いずれも関西ブンドの中心的メンバーでした。後の二人は病を得ての死、前の二人は、内ゲバの中での死でした。その後に続く暴力的党派、党内闘争の先駆けとなるような、陰惨という言葉を通り越した死でした。この4人の追悼集会、墓参に縁あってすべて参加しました。
 虐げられた人たち・人民を解放する、幸せにするのが革命であり、それを思想的、実践的にリードしていくのが党派の役割としたら、先の二人のような不幸な結末をもたらしたのは、やむを得ない革命的過程では断じてないと思います。同志によっての死ほど悲しく、情けないものはありません。
 意見・見解の相違を、その集団の豊かさ・広さの反映としてとらえられず、異質なものを排除すべきものとしたとき、その集団の純粋性が担保されるのではなく、逆に堕落が始まったと考えるべき、と思うようになりました。そのような「こらえ性のない」運動はたちまちにして権力の餌食になってしまいました。
 最近何気なく求めた民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」の中の〈対馬にて〉を読んで、本当にびっくりしました。古文書を見せてもらったり、借りたいという彼の要望に、それが村の寄り合いの席の議題になるのですが、「自分たちも開けたことのない文箱を見せたり貸したりはできない」「いや、今まで開けなくてもどうということはなかった」等々、色々意見が出るわけです。少しでも異論が出て満場一致にならないと次の議題に移り、又元に戻る、という、とても手間のかかることをしている場面が出てきます。結局、貸してもよい、という結論が出るまで3日間ほどかかったようです。こうした寄り合いは夜通し話し合うこともよくあったとのことで、せっかちな私には読んでるだけでうんざりするような情景ですが、感心するとともに、言いようのない感動を覚えました。
 我々の運動は、確かに権力との対峙の中で時間的制約はあったかもしれないけれども、これほどの辛抱強さ(作風といってもよい)を持ち合わせず、対立、敵対、暴力的分派闘争に至ったわけです。これを読むまで村社会の否定的側面ばかりが印象として私にはあったのですが、こうした豊かさの爪の垢ほども学んでいたなら、新左翼運動の凋落もなかったのでは、と思ったことです。歴史に学ぶ、民衆の歴史に学ぶことの大切さを感じました。(08年12月記)文献:宮本常一 ちくま日本文学 022 08・8・10発行

「関西生コン支部の歩み」
を学習しています


吉岡 滋子
 2007年の夏、浜松市で開かれた新党準備のための合宿に参加した私は、関西生コンの運動についての「武委員長への聞き取り」という冊子を渡され、帰りの新幹線の車中で読み進めるうちに「これは大変な運動だ、こんな労働運動は見たことがない」と驚きました。それまでにもこの運動について、見聞きする機会はあったのですが、恥ずかしながらその真髄はわからずに過ぎていました。けれども、武委員長のことばを通して語られる運動の一つ一つの経緯は、今までの労働運動にない新しさがそこにあることを、衝撃をもって私に教えてくれたのです。それだけにとどまらず、中小企業の協同組合を作り、大資本と対抗できるようにするという運動のやり方は、社会のあり方を大きく変える可能性があることをも示しており、労働運動にとどまらない大きな可能性を秘めていることがわかりました。
 「これは、ぜひ多くの人に知ってもらいたい」と私は思い、08年の春から、私の所属する「郷土教育全国協議会」という教育研究団体の機関誌『郷土教育』に「競争から協同へ―連帯労組関西生コン支部の歩みから学べることー」というタイトルで運動の概要を紹介する文章を載せ始めました。主にジャーナリストの安田浩一さんの著書『告発!逮捕劇の深層』や武委員長からの聞き書き『武健一 労働者の未来を語る』からの引用を中心にしたものです。また私は教員の独立組合「千葉学校労働者合同組合」という団体にも所属していますが、その機関誌にもさらに内容を縮小して掲載しています。
 11月の郷土教育の東葛支部の例会では「関西生コンの軌跡から学べること」と題して、文章の掲載を通して把握したことを報告しました。報告後の話し合いでは、会員のSさんが「これからは協同組合しかないね」と感想を語っていました。また、生コン支部が暴力団と対峙して一歩も引かないところや、大資本を相手に堂々と闘うところなど、皆さん深く感銘を受けていました。
 グローバリゼーションのもとで、空前の解雇の嵐が吹き荒れるなか、この運動と出会いここから多くのことを学べる幸せというものを、私は今感じています。そして大量の失業者を生み出す資本主義という社会システムの限界が、誰の眼にも明らかになってきた今だからこそ、資本主義に変わる新しい社会のありかたを眼に見える形で指し示すこの運動が、本当に必要とされているのではないでしょうか?

21世紀を戦う未来へ


管理職ユニオン・関西 浜村 暁
 1997年5月発足した管理職ユニオン・関西は、12年目の活動に入っている。当時掲げた「明るく、楽しく、元気を広げよう!」とのスローガンは今も新鮮、健在である。
 20世紀はじめの「世界経済恐慌」にも匹敵するという未曾有の世界同時不況が、世界の労働者に襲いかかっている。社会的存在としての労働組合は、その存在意義を根底から問われている。90年代以降新自由主義による規制緩和、民営化による市場原理主義を拡大し、この政策の結果、グローバルな外国資本の導入を徹底、アメリカ型経営を謳歌した格差社会の拡大は、逆にその根底的な矛盾から「バブル経済」の世界的破綻を招いている。
 これまで労働者が幾世代もの運動により勝ち取った諸権利は制限縮小されてきたが、今まさに働く者の生活が犠牲にされようとしている。
一部の「富む者が富み栄え」逆に大多数の弱者がその犠牲にされようとしている。規制緩和、民間解放は経済活力再生を名目に膨大な不安定雇用労働者を創出してきた。ワーキングプアーといわれる貧困層人口は経済先進国の中ではアメリカに次いで2番目の多さを占め、貧富の格差は行き過ぎるところまでに至っている。そして労働現場では長時間労働などによる過労と精神的圧迫で苦しんでいる人が急増してきたが、それも「不況」というもとで一層の犠牲を受けようとしている。爆発的な労働者への「リストラ解雇・労働条件の不利益攻撃」は、一方で10年間続いてきた「自殺者」をさらに増加させようとしている。
 「もう黙ってはいられない!」トータルな社会的労働運動に携わる一員としての管理職ユニオン・関西は、労働現場で困っている人と共に、今後も闘う意志を持った人たちと連帯し、闘う!(第13回大会宣言)とした。
 21世紀の未来に向かって「祖国を持たない万国の労働者団結せよ!!」

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