安定した雇用の権利、雇用されなくても生存できる権利の実現を
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キム・ヘジン(全国不安定労働撤廃連帯) 訳/黄 泳洪 |
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2009.1.2 不安定労働撤廃連帯の機関紙第153号に掲載された文書から |
経済危機を克服する良い代案はない。私たちには、このような危機を招くしかない資本主義を葬り去る計画が必要である。経済危機に対応する私たちの闘争は、そのような新しい社会の展望を創る問題と結合されなければならない。そのような展望を作るためにも、ここでは、広範囲な不安定労働者たちを主体にし、経済危機の責任が政権と資本にあることを明らかにする必要、その闘争と要求について考える。
新自由主義政策の結果
政権と資本は非正規職たちに「お前たちがこのようになったのは、正規職のため」とささやく。資本が正規職と非正規職を分断し対立させているため、経済危機時に正規職たちは保守化し、非正規職労働者たちも政権と資本が助長する正規職殺しに手を貸しながら保守的になる。雇用されれば生き残れるという資本のイデオロギーを克服しない限り、分断と競争は終わらない。
特に今の雇用問題は、政権の新自由主義政策による経済危機の結果である。当然この責任は、政権と資本が負わなければならない。政権と資本は今も「仕事」だけが生きる道と叫びながら、不安定労働を受け入れろと恫喝している。これを断固として打ち破らなければならない。
解雇を日常化する整理解雇制非正規法案の廃棄を
双龍自動車非正規職たちが強制休職され、GM大宇でも非正規職が優先解雇されており、多くの仲間が“解雇反対、総雇用保障”を代案としている。だが「個別事業所での雇用維持」だけを要求すれば、政権と資本による分断戦略から抜け出すのは難しい。組織された大工場正規職か1次社内下請け労働者たちはまとまって「解雇」に抵抗し闘争出来るが、2・3次下請けや短期契約の労働者たちは「解雇」では無く契約解除である。建設現場で「仕事保障」を言えば移民労働者たちを追い出すことになる。
資本が労働者たちを分断支配している状況で「雇用」だけを中心に置けば、いくら「総雇用保障」と言っても、結局、組織された偽計ハシゴの上にいる労働者たちの雇用を選択することになる。また、経済危機状況では雇用規模が実際的に縮小され、資本はこれを口実に無数の譲歩への屈服を迫ってくる。
解雇は資本家の権利と認定し、労働者が抵抗出来ないようにすることが整理解雇制と非正規法の狙い。だから今、個別事業場の雇用に対する要求を越えて、整理解雇制と非正規法案廃棄の闘争を再び始めなければならない。
政府と資本は、非正規職使用制限期間を2年から4年に延ばそうとしている。これは4年の雇用安定を保障するものではない。むしろ4年内はいつでも首を切れるという事である。これを保障した「期間制法」を問題視せず使用期間だけを問題視することは、問題の本質と離れすぎている。
雇用されなくても生存する権利を
新自由主義は、労働者民衆の生存を雇用にだけ連携させる。金大中政府の「生産的福祉」と廬武鉉政権の「参与福祉」は、『労働なくして福祉はない』として労働者たちを劣悪な仕事へと追いやった。今も政権と資本は、最賃制のため雇用出来ないと言い、収拾期間を延長し、高齢労働者の最低賃金を減額適用しようとしている。仕事に対する不安感は労働者たちを団結し闘争するより自分だけ雇用され生き残ることを選ばせている。
私たちは「働いていても、働いていなくても、全ての民衆は生活の保障を受ける権利がある」という点を明らかにしなければならない。「仕事創出」と言って賃金カット・不安定労働を強要するような政府に立ち向かわなければならない。
その時の要求は『私たちの生存の責任を政府が取れ。仕事を失った全ての労働者たちに失業給付を、再就業または就業するまで無条件で持続的に支給しろ』である。
重要なことは、不安定労働者が主体になって要求することである。前の経済危機の時、全ての人たちが非正規労働者の不安定な生活に心を痛めたが、それは「慈善」的態度だった。反失業運動を言いながら失業労働者たちに施し米をしたのである。
「生存のための連帯」を創り出そう
今の経済危機は、不安定労働者の闘争だけで対応は出来ない。経済危機を招いた資本主義自体に対する問題提起をしなければならない。だがまず、組織された非正規労働者たちが力を尽くし『非正規法撤廃と失業給付の完全な争取』を目標に「生存のための連帯」を創り出そう。各地域で不渡りと廃業と強制休職を受けている労働者、建設現場で仕事が無く追い出された労働者、そしてこの間、非正規法案廃棄と非正規職の一般化に抵抗し闘争してきた非正規労組などが力を合わせて「生存のための連帯」を創り出そう。

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日本が腐る地獄の底までも
無知無能今日も麻生が炎上す
自民党という火薬庫と地雷原
大疑獄そこにかんぽと書いてある
見限ってこその展望だと思う
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●「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり」(西郷隆盛の「遺訓」の一説)今の麻生自公政権をはじめ政治家たち、キヤノン工事にかかわる脱税スキャンダル渦中の御手洗経団連会長はじめ派遣労働者への責任と痛みすら感じない大企業家たちをみていて、ふと、この遺訓を思い出した。支配側の本物のリーダー不在の危機の深いところには、この辺のところがあるように思われてならない。(生)
●まもなく「ももの節句」。女の子のお人形遊びが混入し「ひな祭り」となったが、もとは健康を祈願し、野に出て薬草を摘み、清流で身体を清める中国の行事だった。自然との共生を古代人から学ぶ。(幹)
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