第15号(2009/9/10)●別紙
HOMEへ

建設独占の産業支配と対決して
これまでの10年、これからの10年

近畿コンクリート圧送労働組合執行委員長 桑田 秀義 

〈圧送とは〉

 オフィスビル、マンション、下水処理場、そして高速道路や空港などの共通項は、コンクリート構造物ということです。
 生コンは、大雑把に言って、セメントと石と砂と水を混ぜ合わせてできます。この生コンを型枠に流し込んで固めれば、建物の土台や壁や梁(はり)や床ができるのです。
 生コンは建設資材であり、行政の管轄で言えば、経済産業省の窯(よう)業課です。生コンは工場で製造されて、アジテータ車(通称ミキサー車)で現場に運ばれます。この生コンを建設現場の必要な箇所に運ばなければならない。例えば、高さ100mのビル、周囲200mの工場建設など、生コンを高く遠く運ばなければならない。
 この現場運搬がコンクリートポンプ工法なのです。消防車が高圧で水を噴出するように、重い生コンを高い圧力で送る機械を搭載(とうさい)したポンプ車が、生コンを必要な箇所へ送る工事が生コン圧送という仕事です。圧送工事業の監督官庁は国土交通省で、とび・土工部門の一職種として認定されています。

〈建設産業の構造〉

体や不動産・デベロッパーや各個人・法人が必要な建設を発注しますが、受注するのは殆どゼネコン(総合建設請負)です。スーパーゼネコン5社を頂点に、建設産業は日本独特な構造を有します。
 ゼネコンは受注機能及び与信管理と施工管理に特化し、実際の施工はすべて下請専門工事業が担うのです。ゼネコンの本質はピンはねにあります。建設独占を頂点とした重層(じゅうそう)的で差別的な下請構造が特徴です。建設独占資本は前近代的なシステムを再生・活用しながら、産業支配を貫徹し、そこで働く中小企業や自営業者、労働者から収奪・搾取(さくしゅ)しています。それは、戦後の産業別労働組合が解体を余儀なくされ、建設産業を労働組合が規制する構造が失われたことと表裏一体を成します。
 この建設独占の産業支配に対し、有効かつ具体的に楔(くさび)を打ち込んでいるのが、私たち近圧労組(近畿コンクリート圧送労働組合)の産業政策闘争です。圧送業界は、他の専門工事業界と同様に、ゼネコンに強いられた過当競争・安値競争の果てに、圧送工事業自体が成り立たない段階まで追い詰められていました。

〈圧送労組の誕生〉

 2000年、業界危機突破・雇用と生活確保をめざす5・21総決起集会において、連帯労組・関西地区生コン支部などの支援を受け、私たち大阪の圧送労働者は大阪コンクリート圧送労働組合を結成しました。
 今から10年前、圧送業界は崩壊寸前でした。圧送労働は他の職種と比較して過酷な重労働でありながら、賃金・労条件は下がり続けていました。労働基準法は無視され、社会保険はそもそも加入していないし、加入している会社も切ってしまいました。また、建設業界では圧送技術や圧送の安全施工についても関心が低く、圧送業界の安全管理も低い水準でした。国家資格を有しながら、重労働、低賃金を余儀なくされていました。
 同時に、中小零細企業である圧送事業者の多くが倒産・閉鎖の危機にありました。各社は、自らの過当競争を抑制できず、建設独占(ゼネコン)と対抗して取引条件を主張することもできず、ただひたすら安値競争に明け暮れていました。
 私たちは、当初から、産別業種別労組として、集団的労使関係を構築し、産別賃金・労働条件の確立、産業政策の貫徹(かんてつ)をめざしてきました。

〈産業政策闘争〉

 当時、圧送事業者は大阪生コンクリート圧送協同組合を結成していました。しかし、相互扶助に基づく共同事業を進めることができず、「名ばかり協組」状態だったのです。実は、建設産業の下請専門工事業の多く(鉄筋・塗装・板金・躯体など)の業者団体は協同組合となっているのです。殆どの協組は共同経済事業(共同販売・受注・購買・研究開発など)に踏み込めていません。
 さて、圧送労働者が雇用確保と賃金・労働条件改善などを果たすためには、建設独占に支配され、安く買い叩かれてきた各中小零細企業と個別に対応しても限界があります。そこで、中小企業自らが大同団結し、ゼネコンと対等な取引条件を確立し、圧送工事業が成り立つ経営環境を作らなければなりません。そのための協同組合なのです。私たちは、集団的労使交渉や行動を通して、経営者に大同団結と共同事業促進を求めてきました。しかし、経営の足並みは揃わず、事態は一進一退を繰り返していたのです。
 そこで、03春闘以降、私たちは各社経営危機の中であっても、賃金・労働条件を先に引き上げていき、経営側が共同事業や値戻しを推進していく以外生き残りはないというところまで追い込む方針でのぞみました。
 建設独占に対しては、弱者連合として労働組合と中小企業は共闘します。しかし、中小企業との賃労働と資本の矛盾が存在する以上、厳しく対決してこそ、共闘の成果も上がるという関係にあります。関西地区生コン支部から学んだ「一面共闘一面闘争」です。

〈闘いの成果〉

 結果、労働基準法遵守・日給月給制移行・社会保険加入・年間休日の確定などの整備を果たしました。賃上げも07・08・09春闘の3年連続6500円で、全労働者の基本給が約2万円アップしています。
 また、圧送労働者の福利厚生目的の労働者基金が創設され、退職金補填(ほてん)等に活用されています。さらに、産別統一賃金・労働条件の整備や産別最低賃金(年収5百万円)の実現過程に入っています。
 加えて、労働環境改善も組合の重要な任務です。現場労働者の命を守る取組も前進しました。労使合同の安全技術委員会の定例化・改善策実施や圧送協組全体の安全大会開催や、ポンプ車の検査・修理への管理強化など成果が目に見えて現れてきました。行政に対しても安全施工を担保するために、大阪では02年から毎年開催し、昨年からは奈良県でも兵庫県でも「圧送勉強会」が開催されています。
 並行して、圧送協組も03年共同受注・統一料金(値上げ)収受・現金決済に成功し、08年度では37億円の共注売上を計上しています。現在、新たな値上げ、共同販売事業に取組んでいるところです。

〈これからの10年〉

 08年、協組は大阪・兵庫・奈良を統一し、近畿生コンクリート圧送協同組合として再編しました。その背景には、私たちの兵庫・奈良の圧送労働者の組織化があります。私たちは第10回定期大会(8月30日)で、大阪コンクリート圧送労働組合から近畿コンクリート圧送労働組合に名称変更しました。これは、3府県に跨(またが)っている実情に加え、近畿2府4県すべてを組織化する方針を意味します。
 また、圧送労働者と同じ建設産業で働く下請専門工事業の労働者を組織していきます。さらに、近畿全域の組織化の後、可能性のある地域・ブロックの進出・組織拡大を目指し、全国組織化を果たしていきます。大会ではタイムスケジュールも確認しました。
 最後に、09春闘では労働運動の組織力が時代を変えるという展望が見えました。セメント輸送、生コン製造・輸送、圧送の全領域を掌握した闘いこそが展望を切り開きます。関西地区生コン支部を軸に関連する労働組合が共闘して、波状的統一的なストライキを打ち抜けば、セメントメーカーやゼネコンの産業支配の背骨を折る力を有します。私たちは、この力を近畿一円に波及できる関係強化をはかること、各自組織力向上に努めること、統一した産業政策による横断的な協同組合ネットワークを形成させることが必要だと考えます。
 これまでの10年とこれからの10年を示しました。
 全国の現場で汗して働く労働者の皆さん!共に闘おう!

辺野古 違法アセス糾弾訴訟始まる
 ヘリ基地反対協議会は「辺野古・違法アセス糾弾訴訟」を呼びかけ、この8月には第1次原告団で訴訟を始めた。引き続き、第二次原告になろう。以下は呼びかけ文の要旨。(編集部)

 辺野古新基地建設を止めるために、あなたも原告になりませんか。
沖縄県民の基地負担の軽減をはかるというまやかしのSACO合意を口実に、世界中の米軍飛行場の中でも最も危険だといわれる「普天間飛行場の代替基地」として、辺野古キャンプシュワブ海上を埋め立てる、新たな基地の建設計画がすすめられています。辺野古地先周辺、そこに広がる大浦湾は《豊かな生態系の命の海》。国際自然保護連合・環境省・沖縄県が絶滅危惧種に指定する《ジュゴンの生息する北限の海》です。
 この海には、ウミヒルモなどの海草類、ミナミトビハゼなどの貴重な生物が育ち、アオサンゴの群落が広がっています。沖縄は、北限のカメと南限のカメとの交差点で、基地建設予定地内にはカメの産卵場が存在します。陸地には多数の稀少植物が生息しています。この《貴重で多様な生態系》を埋め立て、陸地を削り、広大な基地を建設しようとしているのです。
 なによりも、海とともに生きてきた辺野古の人たちの静かな暮らしが脅かされます。(中略)

参加するには!?  裁判費用は2000円。
 訴訟の原告に参加される方は、以下のPDFファイルをダウンロードし、必要事項を記入・押印して、下記にお送りください。訴訟費用は下記の口座のいずれかにお振り込みください。
 提訴日は未定です。

辺野古アセス訴訟団準備室
〒905-0015 名護市大南1-10-18-202
 ヘリ基地反対協議会 気付
郵便物の送り先:
〒905−2171 名護市字辺野古
 座り込みテント村気付アセス訴訟係
TEL 090−2392−9161(安次富)
FAX 0980−55−3131
Email seaoflifehenoko@gmail.com
沖縄銀行二中前出張所 普通1381275
 辺野古基地建設阻止弁護団
郵便振替 01740-3-53459
 辺野古原告団事務局

■いま韓国では
和解と統合ではなく
「行動する良心」が時代精神である
8月26日付のインターネット新聞「民衆の声」より 訳/黄 泳洪


 故金大中前大統領が永眠するのが怖くて李明博大統領とハンナラ党、守旧言論が「和解と統合」と言う言葉を溢れるように使っている。李大統領は22回目のラジオ演説で「和解と統合は、時代精神である」と主張した。

 李大統領は金永三、全斗換前大統領たちが弔問したことに対し、新しい時代が開かれた歴史的な場面だ、と言ったことも呆れるが、民主主義、民生、南北関係など3大危機に対しては一言の反省もなく、≪和解と統合は時代精神だ≫と主張することは非常に不純である。

 民主主義の後退、庶民経済の破綻、南北関係の悪化を生んだ国政基調をこのまま進めるという意図が、散りばめられている。黒いリボンを付けた国民の止まることのない弔問行列は、故人に対する哀悼の意味もあるが、李明博政権の逆走行に対する怒りの表現でもある。これを知らないはずがない李明博政権と守旧言論が反省と許しを求める代わりに、和解と統合操作で取り繕うとしている。

 金前大統領の逝去を通じ国民が民主主義、南北和解などの価値を新たに認識し、李明博独裁と対峙し「行動する良心」になることが恐ろしいからである。全国の焚香所は教育の空間であって、実践と決意の場であった。金前大統領の逝去は、韓国社会の変化に大きな影響を及ぼすことは明らかであった。李明博政権と守旧言論は、世論を糊塗し、韓国社会の変化を未然に遮断しようとする心づもりである。

 和解と統合の主体は、政府ではなく国民である。政権が一方的に和解と統合を宣言したとしても、ついて行く者はいない。前職大統領は勿論、国民を死に追いやり、「言論悪法」をひったくり的に通過させ、言論を掌握し、公安機関を総動員して公安統治を恣行していることに対する反省もなく、日ごとに反李明博闘争は激化されるしかない。

 和解と統合は、現実では空虚なこだまに過ぎない。民主党パク・チウォン議員によれば、故人は「民主大連合」と「民主主義と庶民経済、南北問題危機を克服するため、必ず勝利しろ」と言う言葉を残したと言う。故人は現実を正確に認識して、和解と統合よりは、行動する良心が時代精神になることを願ったのである。

金大中(キム・デジュン)氏経歴

1925年12月3日生
全羅南道出身
キリスト教徒(カトリック)
洗礼名、トマスモア

1943年 旧制木浦商業学校卒
1960年 民主党スポークスマン
1961年5月 国会議員に初当選。
1967年 新民党スポークスマン
1971年 大統領選に出馬 朴正煕に敗北
1973年8月8日 金大中事件
 …ホテル・グランドパレス(東京都九段)で拉致される
8月13日 ソウルの自宅近くで解放
1976年3月 民主救国宣言事件で服役
1978年12月釈放。
1980年5月18日 光州事件に関わったとして、5月逮捕。
 内乱陰謀罪などで起訴
1981年1月死刑確定後、無期懲役に減刑
1982年3月懲役20年に減刑
 同年12月刑の執行停止で釈放
1982年12月23日 夫人と米国に出国
1985年2月 帰国
1985年 民主化推進協議会共同議長
1987年 統一民主党常任顧問
 平和民主党総裁
1991年 新民党総裁
 民主党と合流し民主党共同代表
1992年 大統領選挙に敗れ政界を引退
1994年1月 アジア・太平洋平和財団設立
1995年7月 政界復帰を宣言
 新政治国民会議総裁
1997年 大統領に当選
1999年 国家安全企画部を廃止
2000年 南北首脳会談を実現。
 その功績によりノーベル平和賞を受賞
2009年8月18日死去 享年85歳



金大中前大統領の逝去に際し、心よりの哀悼の意を表明します。コモンズ編集部



2002年7月28日

丹波マンガン記念館 特別展記念講演会より

連載第2回


(前回よりつづき) で、さて話をもどします。小学校六年を卒業しまして、当然のごとく朝鮮第一中学というところに入学をしました。で、それから二ヶ月後に、だから五月ですね、四月に入学するわけですから。まあ、二番目の兄貴が「そんなとこにいっとったらあかん」ということで京都韓国中高等学園というところに替われといわれました。これ、なかなか替われないですよね。まず、あの、転出届、編入届というんですか、学校が出してくれないと。じゃあって私は中学校一年の時に五月から、夏休みの二日前です。韓国学園の教室にいったの。友だちと会うたらすぐに夏休み。従って何をいいたいか、中学校一年間、中学校の一年生の一学期間はほとんど学習していなかった。家でぼうっとしとった。でも、結果として、夏休みの二日前に韓国学園に編入することができました。当時はまだ真面目でした。
 あの、ちょっと話がもどりますけれども、小学校の時には「モボンセン」といいます。模範生。全部の民族学校でそういう大会が開かれるわけです。学級、クラス毎でどのクラスがいちばん偉いか。どのクラスがいちばん学校に貢献し、まあ、業績ゆうかな、会社でよくいったら業績なんですが、学業をあげたか。それの競いあいを全国の民族学校でやるわけです。で、中央の本部でもやります。私は小学六年の時にそれをいただきました。こんな大きなバッジです。非常に名誉なことなんですね、名誉なこと。年に一クラスしか選ばれないんです。で、私は小学校の時、紹介したように、全国のなかで私のクラスが最高だ、と。ってことで私は選ばれました。朝六時に学校に行ってですね、庭掃除、学校の庭掃除からグラウンド掃除から、各廊下掃除まで全員がクラスでやるわけです。誰も遅刻はしない、誰も欠席はしない、熱がでていても学校にいく、そういったことをかちっとやるわけです。これ、みなさん聞くとですね、異常だと思うでしょう。しかし当時のぼくにとっては非常に気持が良かった。
 なぜかっていうと、やはり、私は日本の学校に三年間いました。当時よくいわれました。「朝鮮や」とか「ニンニク臭い」とか、もっとひどい罵声の言葉だってあります。いまさらそんなこといわんでも差別は現在もあるわけですから、それが表現として出てるか出てないかだけの話で、私は実は十才にならんとするときの差別の現実ってのは今でも残っております。今僕に日本の人たちがですね、在日に対する、在日朝鮮人に対する、あるいは韓国人に対する差別が見えんようになったやないかと、こういうように言います。実はともに闘っている仲間でさえそういうふうに言います。で、僕はいつも言います。差別の本質がわかってない。言葉を出さないがゆえに差別なのか。昔は直接でした。部落差別では「エッタ」といわれました。そして朝鮮人は「チョーセン」と呼ばれました。「そばよるな、ニンニク臭い」とか言われました。さまざまな言葉がありました。たぶん今日はこの地区も、部落大衆もきてはるということなんで、子どもがいちばん傷つくことばってのはもっときつい言葉があるわけです。自分の両親をばかにされる言葉です。私もそういう言葉をかけられました。

自らを防衛するために
何をもって根拠としたか


 で、その時に先程いったようにどうして自分を守っていくか。よく考えてください。当時日本の政府は、在日朝鮮人に対してほとんど施策ってのをやってなかったです。もっと言えば、弾圧の対象でした。弾圧の対象。そういう民族が日本のなかで生きていくときにですね、自らを防衛するために、何を持って根拠にしたのでしょう。まさに民族性ですね。同時に革命性です。私はそれを小学校の四年から六年まで学びました。ある意味においては間違いではないと思います。民族性を勝ち取っていくというのは。なぜかっていうならば日本の社会において異質である自分を尊重できなかったんですね。どうしても自分は同質化したいと、日本人と一緒に。で、異質である自分が嫌だった。これは差別の結果です。(つづく)
日韓共同WSのご報告
増田都子ホームページより
http://www.masudamiyako.org/

増田都子(教育裁判原告)

 来年8月29日の「日韓『強制併合』100年」に向け、両国の市民で協同して「真の反省と和解」をしていこうという両国「100年市民ネット」のワークショップが、韓国・水原(世界遺産の水原華城のあるところ)で行われました。私はそこに参加のため25日午前10時に家を出て、昨27日午後11時に家に帰り着きました。
 (中略)本当に感動したのは、韓国側顧問の柳 鍾玄(ユ・ジョンヒョン)氏…元韓国・横浜総領事を勤められた外交官…の報告です。最後に以下のように言ってくださったことです。



(4)増田都子ケースの支援
 最後に、増田都子教師の免職取消訴訟に関わる支援の提案を述べさせて頂きます。ご存知の通り、増田先生は、日本の<日韓100年市民ネットワーク>の共同代表です。増田先生は、以前現職の折、中学校で生徒達に日本の侵略歴史を教えたという理由で、教師の職責から解雇され、現在、法廷闘争を続けている。

 増田先生は、盧武鉉前大統領の2005年の3・1節記念辞を社会授業時間を活用し、「真の和解を目指すため、日本人は、何をなすべきか」という題目で、生徒達と紙上討論を済ませ、同年8月、東京都教育委員会から警告処分されて、9月には、長期研修処分で授業の機会を奪われた。そして、2006年3月、「教育公務員の不適格」という名目で免職処分を受け、33年間の教職生活を止めた。同年9月、増田先生は、自分を支持する市民団体の力を借り、免職処分取消の要請のため訴訟を提起した。

 しかし、2009年6月11日、東京地方裁判所民事部は、原告に敗訴判決を下した。提訴以来、2年9ヶ月の結果であった。増田先生は、東京都議会議員や新しい歴史教科書を指摘し「国際的に恥ずかしい歴史認識」「歴史偽造主義者」「侵略を正当化した教科書に依る、歴史偽造で、有名な歴史教科書」などとの非難をしながら、中学生を指導した事は、客観的に特定人の誹謗に当たる行爲」ということで, 原告の免職処分の判決になった。

 この判決直後、増田先生は声明を出し、このような不当な判決により、平和教育・民主教育において、もっと強い圧力を恐れるが、日本国憲法にも記してある理想の実現のため、良心的な有志と力を合わせて、最後まで闘うつもりだと固く決心している。

 <増田先生の闘争>の側面支援は、<韓日100年平和市民ネットワーク>のキャンペーン・プロジェクトの中でも最優先たる課題であろうと思う。現在、韓日間で最大の問題になっている両国間の「歴史認識の差」の克服を目指す運動として、日本の歪曲された「歴史観」の建て直しのためにも、必ず、最優先事業として支援すべきであろう。
(編集部:続きは増田先生サイトへ


HOMEトップへお問い合わせプライバシー・ポリシー
革命21 Copyright (c)2008 All Rights Reserved