第16号(2009/10/5)●別紙
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W S F 2010 プ レ 企 画

世界社会フォーラムと社会運動
金融危機を作り出した
ダボス会議に挑戦
大統領まで出してしまう
世界社会フォーラムって
何だろうか?
 2001年1月、南米ブラジル・ポルトアレグレ市で開かれた世界社会フォーラム(WSF)は、21世紀の新しい社会運動の始まりを告げる象徴的な出来事でした。WSFに参加した者たちは、そこで討論されたこと、検討されたことを自分の現場、地域に持ち帰り、そこで討論を深め、社会運動を作り上げていきました。ブラジルでは、WSFに参加した者たちが社会運動を拡大し、ついには労働者党のルラ大統領を誕生させました。その後、南米では、次々に反米左派政権が誕生しています。世界の政財界のトップエリートたちが集まって討論する世界経済フォーラム(WEF:ダボス会議)に対抗して開催されたWSFは、ダボス会議が敷こうとしている新自由主義のグローバリゼーションに真っ向から挑戦し、世界の新しい社会運動の潮流を作り、明らかに世界の政治地図を変えていると言えるでしょう。
 この秋、世界社会フォーラムの開催に準備段階から関わった2人、ATTACフランスのクリストフ・アギトンさん、ブラジルから世界社会フォーラム・ブラジル組織委員会のチコ・ウィテイカーさんが来日します。国境を超えた社会運動の担い手であるアギトンさんには、WSFをはじめとしてグローバルな社会運動をどういうふうに作ってきたのか、そして今後作っていくのかについて、反失業運動や欧州社会フォーラムなど自らの経験を踏まえながら、話していただきます。またウィテイカーさんには、ブラジルの社会運動はどのようにWSFを作り上げ、展開しているか、そして、「WSFはオープン・スペースであるべきだ」というその主張について論じていただきます。

 WSFがまだ十分に広がっているとはいえない日本に、WSFメイン・アクターの両人が登場することは、WSFを根本から理解する絶好の機会です。来年、東京(1月)と大阪(3月)で、WSFが開催されるにあたり、そもそも、WSFとは何なのか?について、具体的な運動を考察しながら、討論したいと思います。WSFを知りたい方、WSFに関心のある方、スピーカーと討論したい方など、皆さん、ぜひご参加ください。


Chico Whitaker
(ブラジル)

 チコ・ウィテイカー:1931年生まれ。
世界社会フォーラム設立発起人の一人で、現在、世界社会フォーラム国際評議会およびWSFブラジル組織委員会委員。ブラジル・カトリック司教協議会(Brazilian Episcopal Conference:CNBB)が設立したブラジル正義と平和委員会(Brazilian Justice and Peace Commission: CBJP)代表。64年、軍事クーデターの発生でフランスに亡命。82年ブラジルに戻り、社会的連帯のための民衆教育運動に参加する。2006年、社会運動に貢献した人に贈られるRight Livelihood Awardを受賞。世界社会フォーラムが「オープン・スペース」であるべきだと主張する。


Christophe Aguiton
(フランス)

 クリストフ・アギトン:1953年生まれ。
フランス・テレコムの独立労組、SUD-PTT(連帯・統一・民主主義)の組合員。反失業運動のAC!(93年)、「失業に反対するヨーロッパ行進」(96年)、ATTACの設立(98年)に参加する。世界社会フォーラムなど、近年の国境を超えた社会運動の担い手の一人。『「もうひとつの世界」への最前線』(日本語翻訳版)(2009年5月、現代企画室)の著者。
SWF2010プレ企画イベント

日 時:2009年11月23日
    13:30〜16:30
場 所:南部労政会館(JR大崎1分、大崎労政事務所に併設)
参加費:800円

季刊
2009年9月創刊号
2009年9月22日発行 A5判56頁 定価500円
「変革のアソシエ」創刊!

発行:変革のアソシエ
編集:大野和興

●注文は下記まで
〒164-0001
東京都中野区中野2-23-1
ニューグリ−ンビル309号
TEL:03−5342−1395
FAX:03−6382−6538


●Relay Essay アソシエ●
経済批判によるヘゲモニーの反転を 田淵太一 ………………4
《特集》発足記念講演とシンポジウム
開会挨拶 危機を転機に 伊藤 誠 ……………………………6
第一部 記念講演 世界恐慌と危機の真相
―私たちはどこへ向かうのか 本山美彦 ………………………9
第二部 わたしの戦略・戦術
戦後パックス・アメリカーナの衰退・転換と
グローバル資本主義化の視覚から 河村哲二 ………………22
中小企業と協同し、背景資本を撃つ 武 建一 ……………26
辺野古そして沖縄の闘い! 安次富浩 ………………………30
農産物価格と土地問題に関して 大野和興 …………………34
質疑・討論 マルクス経済学は何が出来るか ………………36

斎藤貴男氏に聞く 勝ちすぎた民主党への不安と期待
―総選挙の結果に思う …………………………………………39
ルポルタージュ もうひとつのジャーナリズム
北爆下のハノイから世界を凝視する 村上良太 ……………43
中野嘉彦『マルクスの株式会社論と未来社会』
マルクスのヒントを活かした株式会社論 本山美彦 ………48
「変革のアソシエ」の呼びかけ
違いを結ぶ、批判と創造の新機軸を構築しましょう ………50
変革のアソシエ・関西から 労働学校の案内 ………………53
「変革のアソシエ」講座案内 …………………………………54

9月1日 業界最大の設備を誇る
本格的研究センターが発足!

グリーンコンクリート研究センター開所式
グリーンコンクリート研究センターウエブサイトより
http://www.kannama.com/new-news/gri-nkonkuri-to/guri-nkonnkuri-to2.html

 開所式では中西理事長が挨拶に立ち、「中小企業がまったく独力で作り上げた素晴らしい施設で優れた人材育成と全国に発信可能な産官学利用による研究センターを目指し、業界にグリーン革命を起こす気概で先頭に立ち運営に当たりたい」と決意を披露した。
 続いて、研究センタースーパーアドバイザーの二村誠二・大阪工業大学工学部講師が同センターの使命を〈@人を育てる機関A技術開発の拠点とするB産官学が共同利用できること〉の3点を強調。業界の全ての人に体験を呼びかけ、皆が主人公の気持ちで研究センターを中心に情報交流を図って頂きたいと呼びかけた。
 さらに挨拶に立った組合総研・武建一代表理事は協同会館アソシエ竣工後2ヶ月を経過した現況にふれ、「建設業界の厳しい現況下、中小企業が未来投資し、志をもって中小企業のための砦を築いたことで大変な自信になっている。
 大手企業と対等の取引のための強固な団結こそ」と強調。前日の民主党圧勝にふれ、「中小企業に光が当たるよう、協同組合単位で提言し声を上げていきたい」と新しい政権に大きな期待を表明した。
 この後、研究センター大橋栄職員から研究設備の概要が説明され、あらためて業界最大級の規模が参加者に認識された。
 最後に久貝博司理事が業界の利益をどう前向きに活かすかを訴え終了。その後、参加者にオープンラボ、テクノサロンが公開された。
(以上、中小企業組合総合研究所機関紙『提言』10月第45号より)

■主な設備の説明は次の通り。







開所式であいさつする武建一代表理事
最新設備の整った研究所内
■いま韓国では
李明博政府の柔和ジェスチャーは
大衆的抵抗のため
韓国インターネット新聞「レポート21」9月12日付け論説から 訳/黄 泳洪

中国大使館への抗議闘争
 李明博の支持率が上がったという。もともと人気のない政府で、支持率の小幅な上昇さえ大変なことのように見えるようだ。青瓦台と与党が特に喜んでいるようだが、それでも世論調査で30%を少し超えているだけである。依然として現政府の前途は、漆黒の闇夜である。李明博政府の小幅な支持率上昇は、逆説的にこの政府が自己の政体性を部分放棄したためである。

 李明博を変えた
 労働者の闘い

 強富者政権が“親庶民行報”を行ったとしても、右派政権が“中道実用”を語りながら、少し前まで冷戦的対北政策を固守してきたのに慇懃(いんぎん)にこっそり対北柔和ジェスチャーを取っている。内閣改革でも問題だらけの“MBマンたち”の中で一時、民主党の大統領候補にまで挙がっていたチョン・ウンチャンを総理に内定した。
(注―MBは李明博のことを指す。)
 強行弾圧で一貫してきた李明博政府が柔和ジェスチャーを取っているのは、何よりも政府の強行弾圧にも拘わらずヨンサン惨事抗議運動、反民主的弾圧阻止運動、サンヨン自動車労働者占拠ストライキなどが継続して起こったためである。実に激しい国家弾圧の中で、一・二ヶ月で数回ごとに大規模デモが繰り広げられた。このようなデモと抵抗が国家弾圧にも拘わらず階級闘争状況を互角の戦いとして行われていたのである。他方で、10月の国会議員補欠選挙と来年の地方選挙を念頭に置いているからでもある。

 ツケは全て労働者と
 庶民が支払う

 チェ・チャンチプ教授が“李明博政府を全ての力を使って攻撃した結果、李明博政府が弱化したのか”と反問したこと(9月1日進歩改革立法連帯が主催した講演会)は、それは多少突拍子もないことである。
 チェ教授は“李明博大統領を悪と規定して、全てのことが悪い”と言う式で“集中攻撃”したことが、むしろ李明博政府の支持率の上昇を補っているかのように語った。“李明博政府が、実際に良くて強くなったのではなく、反対勢力のめちゃくちゃな攻撃のために強くなっている”と言うチェ教授の論理通りならば、李明博政府に対峙する闘争が李明博政府を強くしているという訳になる。
 だが、李明博支持率の一時的な上昇は、即、李明博政府が強くなったという意味ではない。李明博は自身を大統領にしたその要因のために、依然として危機の渦中にある。つまり経済回復に対する念願に力をえて大統領になったが、経済危機は依然としてある。経済回復ではなく、景気下降速度が多少鈍化したに過ぎない。IMFも最近の回復状態に対し、“成長が失業を減らすほど充分に強力ではない”と言っている。賃金凍結(と削減)と仕事減少のために労働者たちは、消費を自制するだろうし、その結果、経済浮揚のための需要が制約されている。
 それで、李明博政府は着実な個人消費や確固とした企業投資ではなく、依然として大規模国家介入に依存するしかない。実際、李明博政府は前例のない景気浮揚策など(4大運河事業と社会間接資本投資など)を通じて、経済的ハルマゲドン(Harmagedon)から逃れようとしている。
 そのツケは全て労働者と庶民が支払う。大規模財政赤字のために公共部門の支出、特に庶民福祉の減少か現状維持である。金持ちと権力者たちは、経済危機から抜け出ているかのように見ているが、依然として数多くの人たちは、経済危機のハンマー(金槌)に打たれ、生は崩れている。

 真正左派は
 大衆を抵抗者へ変えよう

 危機が示していることは、労働者たちに対する攻撃と共に長期的な政治的・イデオロギー的混沌の時代が困難であるという点である。今、労働者たちは怒りと未来に対する不安の間で息詰まる苦痛を経ている。
 まさに、このような経済危機とそれによる政治的不確実性のために、李明博政府の柔和ジェスチャは一時的なものでしかない。主要支配階級分派たちも李明博の自己政体性の部分否定政策をいつまでも容認しないであろう。以前から保守言論などは“親庶民”でなく“親国民”(このときの国民は支配階級の国民を指している)政策が必要だと反発した。にもかかわらず、李明博政府の柔和ジェスチャーは、政府の強さを証明しているのではなく、むしろ抵抗と大衆的圧力に押され一時的・部分的譲歩をしていることを示している。
 このような状況で真正左派は、繰り広げられる闘争などに積極介入し、大衆の心理的均衡を不安から抵抗へと移すために努力しなければならない。




2002年7月28日

丹波マンガン記念館 特別展記念講演会より

連載第3回

自分はこの社会で異質な存在であるという
ことを考える力を持った――私の始まり


 しかし民族教育を受けることによって、自分はこの社会のなかで、この世界のなかで、まあ日本の社会のなかでですね、異質な存在であるんやと、別な存在である、ということを考えられるような力を持ったっていうのは、実はそれが根拠なんです。だから、私の始まりはそこからです。断固として差別は許さない。その根拠は、差別を許さないってことではみなさんたぶん同じでしょう。で、許さないってのは先程紹介したようにですね、我々はすぐれた民族である、と。五千年の歴史がある。自ら祖国を解放した、そういう民族である。こういう教育を受けてきました。
 で、私たちは、そういったことを背景に持って差別と闘えっていう、それが、先程も言ったような私の兄たちの闘いへとつながっていくわけです。政治的方針をめぐって兄弟が別れるというのは解ります。たぶんぼくなんかは理解しているつもりなんですけれども。実はうちの兄たちは民族の在り方をめぐって、違う方針を取ったわけです。
 なぜこんな話を皆さんにやるかといったら、在日の、戦前・戦後史を知ってもらおう、戦前までは無理だと思いますから、戦後史を知ってもらおうってことなんです。在日朝鮮人が、戦後、先程私言いました。一貫して弾圧の対象となった。それは、一つにはわが祖国の分断状況、今も固定化された分断状況であります。で、その分断状況に積極的に加担したのが、まさに日本の国家なのです。日本の人々の言葉で言うならば、「朝鮮特需」という言葉があったでしょう。戦後日本の復興を助けたのは隣の国である朝鮮の内乱、あれは内乱でないわけです。実は帝国主義がぶつけた戦争なんです。それによって日本は、まさにその戦後の復興の要たる地位を築いてきたわけです。
 従って先程も言ったように、実は在日の在り方ってのは、戦後も戦前もそうですけれども、我々が一回も決めたことがありません。私が今存在していること自体も私がこうあるべきだってことで何度も口は出しますが、私のことを決めているのは日本の国家です。なんにも変わってないです。何も変わってないです。
 まずはその日本国からおしひろげていきたいと思います。先程も言いましたけども、国民と市民というちがい、なぜずーっと市民に置かれてきたのか、国民じゃなくて、そのことを解らずにして、国際感覚で他民族を尊重しなさいったら、それは尊重できるはずがないです。戦前から日本にはさまざまな民族が来たわけです。アジアの。およそ古来の言葉で言うならば、帰化人であります。朝鮮半島とか中国本土から、青磁や陶磁やとかっていう文化を伝えてきた人たちです。で、そういう人たちがありながら、戦前の一時期からそれを否定しだす。それは現在もなおかつ続いている。
 とりわけ私の幼少期のころは、非常に厳しい時代でした。高度成長期です。先程も言いましたとおり、私が生まれたのが一九五五年ですから、私が九才とか十才が一九六五年です。たぶん皆さんにも同年代ないしそれより少し上かなあぐらいの方が多くおられると思います。私はそんな年代でした。最初、中学校の一学期は朝鮮の総連系の中学校にいきました。で、一学期の終わりに韓国学校にいきました。で、その時には十四才でした。京都に東山通りというのがあります。熊野神社から百万遍というのは「解放区」と言われてですね、市電が走っとるわけですけども、学校にいくといつも催涙弾ていうのですか、白い煙をだす、あれがもうもうとしとるわけですけどね、熊野神社から実は、私たちの学校というのは百万遍からもうひとつ向こうの駅へ行かなあかん、ずっと歩いて行かなあかん、それぐらいあの地域が騒然とした時代、全学連の時代ですね。僕ら楽しみやったですよ、朝、学校に行きしな、機動隊と学生がぶつかっているのを見て。で僕はもうその時、紹介したとおり、まだ中学校二年生ですからそういう政治意識とかを全然持ちません。ただし僕の兄貴たちはたぶん等しく皆さんと同じように自分たちも社会に対してなんかのアプローチをしていかなあかんと考えたやろうし、それぞれに。
 でそのことによって、僕自身が小学校二つ行き、中学校二つも行く。こういう状況があると。で決してそれは、先程紹介したように在日朝鮮人内部の問題ではないわけです。どう闘っていくかっていう。確かに、どう闘ったというのは内部の問題かもわかりません。しかし、どう闘っていきたかったのか、というものすごい厳しい課題を、絶えず日常的に突きつめてきたこの社会の問題でもあります。で、私は当然そういう兄貴たちを見てきましたから、等しくぐれました。       (つづく)
米原子力空母横須賀配備撤回
9・26全国集会に3500人結集
 全国実行委員会(平和フォーラム・全国基地ネット・平和センター関東ブロック・神奈川平和運動センター・三浦半島地区労)は9月26日、横須賀市のヴェルニー公園で「空母母港化36周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化1周年抗議・原子力空母配備撤回を求める9.26全国集会」を開催し、全国から3500人が結集した。
 平和フォーラムの藤本泰成事務局長、神奈川平和運動センターの宇野峰雪代表、山城博治全国基地ネット事務局長(沖縄平和運動センター事務局長)、呉東正彦母港問題市民の会共同代表、金子豊貴男厚木爆同副委員長の発言の後、集会アピールを採択し横須賀基地前までデモ行進した。


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