第17号(2009/11/5)●別紙
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象徴としての「八ツ場(やんば)ダム」

来栖 宗孝 


川湯温泉の老舗と
日本共産党書記長・徳田球一

 群馬県長野原町、利根川上流の(一つ)吾妻川の名所吾妻渓谷の少し上流に川原湯温泉がある。
 温泉宿の老舗(の一つ)のご主人に萩原さん(個人名を失念して済みません)という奇特な人がいた。彼は徳田球一のファンで徳田を自宅温泉に招待し、激しい政治活動・革命運動の疲れを癒(いや)すのを助けていた。徳田とはいうまでもなく、第二次世界大戦後やっと合法化・公然化された日本共産党の書記長で、それまで足掛け18年間獄中に囚(とら)えられて不転向を貫き徹した革命家である。
 萩原氏の徳田援助は60年以上も前のことである。私は、友人である共産党員から萩原氏の温泉宿に誘われたことが何度もあったが、川原湯に行ったことはない。コネを利用して宿泊料を安くしてもらうのが嫌だし、東京から近い伊香保で済ませられるからである。


大利根川の洪水対策と
八ツ場ダムの不急不要

 1947年9月、関東地方を襲ったキャスリーン台風による被害は、1都5県(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉各県)で浸水50万戸、死者1100人にのぼる大きなものであった。この大被害のうちでも、関東平野を貫流する大利根川の洪水対策は特に優先的に実施されねばならなかった。
 62年後の現在、利根本流の最上流地域(群馬県西北部)には八木沢ダムを中心とするダム群及びそれらによって出来た諸人造湖並びに茨城県古河市と埼玉県栗橋市の間を流れる利根本流の巨大かつ長距離の大堤防により、大利根の洪水はほぼ防止できるようになっている。
 1952年、建設省(現国土交通省)は前記吾妻川に八ツ場(やんば)ダム(川原湯温泉水没となる)調査出張所を開設し、実施計画の調査、作成を開始した。この天降りの計画に地元住民の8割は反対し、代表者に萩原氏がなった。同氏は知識人層に属する人で、単なる反対運動ではなく、官側の計画に対し十分理論的科学的に反論できるため、外国(主として欧米)に出向いてダムの実情を調査研究まで行った。
 当時、少なくとも有名なダムは米合州国テネシー州にあるローズヴェルト大統領時代に建設されたケンタッキー、ノリス等の人造湖であり、また、ソヴィエト同盟が味方に引きつけるためエジプトのナイル河中流に建設したアスアン・ダム、同ハイダムとナセル人造湖であった。
 ダム建設の目的はいろいろあるが、例えば富山県の黒部ダムは水力発電用である。一般に多目的ダムは、治山治水(洪水氾濫の防止、水量調節)、水力発電、給水(農業用水及び市街地上水道用)などであるが、20世紀の後四半世紀以降、ダムの必要性は大きく減退してしまっている。
 前述のように河川に対する水路調整、堅固で高い堤防建設による洪水予防、市街地における地下水利用、ダム水底の土砂堆積(一斉放水すれば、それらの土砂が河川、河口に流出し漁業に損害を与える―浚渫はほとんど行われていない)等のため、かつてのようにダムの緊要性は失われてしまっている。
 何よりも1952年以来、57年も経過し、しかも群馬県は戦後、中曽根、福田(父)、小渕、福田(子)の4代の首相を輩出しながら、八ツ場ダムの完成、どころかダム本体の工事は未着手という現状そのものが、建設遅延どころか建設できなかった事実を示している。八ツ場ダムは不急不要なのである。
 萩原氏は逝去された。水没関係5地区連合対策委員会の萩原昭朗委員長はこの萩原氏のご子息ではないかと私は推測している。
 住民は役人に翻弄されつくして疲れはて、やっと1985年建設受け入れを決めたのである。
アスアン・ハイダム建設による水没をさけるため、
まるごと移動されたアブ・シンベル神殿


計画中止反対の煽動と
支那事変解決の日米交渉を妨害した東條陸相

 今年8月30日の衆議院議員選挙で鳩山民主党内閣が成立し、前原国交大臣は党マニフェストに明記されているからと、(馬鹿)正直に八ツ場ダム計画中止を明言して地元住民の物議を醸した。これに悪乗りしてマスコミは、吾妻川渓谷を跨(また)ぐ道路用橋脚の写真を連日のように映し出して、中止反対を煽動している。1941年10月、泥沼に陥った支那事変解決のため日米交渉に政治生命を賭けた近衛首相に対し、東條陸相は事変で戦没した10万の英霊に申し開きできないから、支那(中国)からの撤兵は断じてできないと主張し交渉を阻害した。八ツ場ダムのため4600億(内、本年9月までに3210億支出)も使ったのだから、(もう)止められぬというのか。

八ツ場ダム本体建設の中止と
住民の生活整備

 日本政治の特有の成行委せ、既成事実追随追認、ズルズルと引きずられて今更引っ込みがつかない、というわけで自ら袋小路に飛びこむのか。
 米合州国ジョージ・ブッシュ(父)大統領がイラク・クウェート戦争に介入したとき、原油(黒いドロドロした油)を流され、水鳥の羽根に付着して飛べず、餌も原油の中では取れず死に瀕したテレヴィ画面をくり返し放映した。これはイラクのフセイン大統領が流したものではなく、テレヴィ局の「やらせ」だったのだ。八ツ場ダムの橋脚写真など姑息愚劣な手段などを使用して善男善女を誑(たぶら)かすことに私は抗議し非難する。
 一都五県の知事が工事促進のデモを行うという猿芝居もまた愚劣である。一都五県の必要給水量は八ツ場ダムがなくとも十分となっているのであり―この科学的根拠を黙殺して中止反対をわめいている。今後の課題は、ダム本体建設(未着手ですぞ)ではなく、関係住民の生活整備のための予算提出を講ずることなのである。全国のダムは、すでに過剰投資で、ただ天下り役人と土建企業のため国民の税を何十年間も流し込んでいるだけなのである。
(革命21(準)顧問)
【参照『情況』2009年11月号46ページ上段】


マルクスとエンゲルスによる資本主義の礼賛

―貨幣の魔力―(1)

法政大学名誉教授
尾形 憲

医療改革を訴えるオバマ米大統領


 世界の国々の社会・経済情勢を詳しく解説した『世界国勢図会』(矢野恒太郎記念会編集・発行)という本がある。昨年のこの本に通常兵器輸出国として第8位にスウェーデンが登場した。もちろん、トップのアメリカの年々50〜80億ドルというのとはケタ違いだが、それでも毎年5億ドル前後というのは、小国であり、しかも「平和国家」のイメージからすると、予想外である。
 「OECDによる肥満と太り過ぎ人口の割合」という項目もある。体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割った数値(BMI)が30以上を「肥満」、25以上30未満を「太り過ぎ」としてこの合計がアメリカでは05年男がトップで73.3%、女がメキシコにつぐ61.5%である。日本は男が28.6%、女が22%となっている。
 日本人の年間の食べ残しが1千万トンで7千万人が養えるというのはずいぶん昔で、最近はこれが2千万トンという。アメリカのそれは当然こんなものではない。
 その上での肉類を中心とする飽食は国内の牧場だけでは足りず、アマゾンの密林を切り開いての牧場の造成となる。太り過ぎが成人病などの原因ということで、ダイエット、エアロビクス、最近では日本食が大もてである。
 その一方、08年現在、世界には1人1日当たり1ドル以下で暮らす低栄養の最貧困層が約10億人、2ドル以下の貧困層が約26億人いる。
 クルマの保有率は言うまでもなくアメリカが人口100人につき81.4台(07年)と断然トップ。しかもGMなどの大型車が多く、それが同時に地球温暖化の元凶CO2の1人当たり排出最大の19トン(06年)となっている。
 主要都市の住宅面積は150〜200平方メートル(07年)で、アメリカが日本の負担でグアムに建設しようとしている寝室4、バスルーム2をもつ米軍家族住宅の面積にほぼ等しい。低所得者への住宅資金の融資が、そしてそのための証券の過剰な流動化が現在の世界的金融恐慌の口火となっているのである。
 これらに対して、たとえばアメリカの5歳未満児の死亡率は07年で7.6%(日本は3.5%)と先進国中最高となっている。また同年の1人当たり医療関連支出は7290ドルと世界最高(日本は06年2581ドル)で、そのうち公的支出が半分以下(日本は約8割)というのは先進国中例がない。それでいて、オバマの医療改革を「社会主義」として、支持率が60%台から50%台に下がるお国柄である。
 人口1万人当たりの医師数(00年〜07年)はヨーロッパ諸国がほとんど30〜50人なのに対し26人(日本は21人、キューバは59人)に止まる。
 生活水準が向上するにつれ人びとはこれまで持っていた物理的な根拠に基づく必要に加えて、生産によって育成された必要を持つようになる=供・給・が・需・要・を・作・り・出・す・ことになる。J.ガルブレイスが半世紀も前に言った「依存効果」である。そしてこの需要はクレジットによって直ちに充たされるのである。
 V.パッカードはいう。「賢明な恋人たちは貯えがないからという理由で結婚生活に入るのを控えたりはしない。彼らはすぐ結婚する。そして新婚旅行も自動車も家も家具もすべてクレジットである。」
 月賦のための負債で死に追い込まれたC.チャップリン主演の「セールスマンの死」はこのころの話だが、今や可処分所得に対する家計支出の割合がアメリカでは134%、そしてさらに増大の一途である。
 このような国民の赤字生活に対応するアメリカの国家財政がある。軍事費という「贅沢」支出が主因の09年度財政赤字は約1兆8400億ドルと予想される。これに加えての経常赤字、企業の赤字と上に見た「贅沢」支出による家計の赤字という四つ子の赤字である。
 こうした「贅沢」―過剰生産と過剰豊富、そして過剰消費の世界はどのようにして生み出されたのであろうか。
(つづく)

右派・中間派・左派3派の分離鼎立(その1)
[進歩戦略会議討論会寄稿]

進歩評論編集委員パク・ヨンギュン2009年3月23日
訳/黄 泳洪

 黄さんより長文の上記表題の原稿が訳されて届けられた。2009年は、すでにこの紙上でお知らせしているように、中南米での「21世紀社会主義」への大きなうねりに続いて、フランスでも左翼勢力が開かれた場での討論を踏まえ、その自己脱皮をはかり≪反資本主義新党≫が結成された。こうした新しい流れは、1つのうねりとなって、本年3月より韓国でも始まっている。わたしたち革命21(準)の発足もこうした世界の労働者・左翼勢力の挑戦の一翼である。その意味で、フランスや韓国の左翼の討論について、共通性と日本固有の問題とがあるものの、突き当たっている課題や思想・理論問題から学ぶことは大きいはずである。そうした問題意識に立って、ここに、何回かにわたって連載する。(コモンズ編集部)


 進歩戦略会議は、来る24日(2009年3月)から国家人権委員会の「学び舎」で、《(1)進歩左派政治はどこにあって、どのように再構成されなければならないのか》を討論する。
 主な討論点は、@民主労働党分党の意味と進歩新党、A社会主義労働者党準備会の歩み、B進歩左派理念の再構成、C進歩左派運動の革新、D現在要求される最小限の「共同行動」等についてである。
 討論には、コ・ミンテク社会主義労働者党準備会活動家、キム・インシク「レフト21」発行人、キム・ヒョンウ進歩新党政策委員、パク・ヨンギュン進歩評論編集委員、パク・ジニ進歩政治フォーラム代表などが参加する予定である。
 「民衆言論チャムセサム(真の世の中)」は、発表者の見解をあらかじめ探る場を準備した。下記の文書はパク・ヨンギュン進歩評論編集委員の文である。 [編集者 注]


はじめに
1. 民主労働党の分党の意味と進歩新党に対する考えなど


1-1.分党の原因に関する評価

■分党の原因
 韓国の進歩運動で最も大きい弊害は、差を認定できないということです。社会が変化すればその変化を反映する多様な運動などが生成されるほかはありません。ところで大同団結というイデオロギーは、こういう差と多様性を抑圧します。そして多数による横暴、覇権主義をもたらします。それで差が分化し、運動が多様な色彩などで豊富になるのではなく、形骸化されます。これが進歩運動を、現実離れし遅れた古いパラダイムで作ったと、私は考えます。民主労働党の分党は、まさにこういう分化の現象という点で肯定的だと考えます。いや、事実はその前にそうならなければなりませんでした。特にそれが、差を越える政治的理念と色合いが互いに違う勢力の同居でしたから。その上、韓国進歩運動の分化過程で、問題は民族主義系列が絶えず自由主義との曖昧な政治的関係を結んだし、自由主義ヘゲモニーに一定の役割を与えたという点で、より一層そうであります。たとえ遅れたが分党を決めたことは、韓国進歩運動の政治的発展のために、大変重要な一歩前進だと考えます。

■分党にはらむ問題点
 しかし問題はあります。特にその分党の過程が、「政治的な路線と立場」でなく〈終北主義〉という反北朝鮮イデオロギーに寄り添って成り立ったという点で、それは退行的な政治だったと私は考えます。問題は、終北主義でなく今日の韓国での進歩運動の発展方向と路線です。そのような意味で重要なのは、「新自由主義のグローバル化の中で多様に分化している社会運動をどのように赤色化、政治化するのか」です。しかし終北主義という色に寄り添って見たら、こういう政治的発展に対する論争と摸索は、後まわしにされて再びイベント的、大衆的心理に寄り添った政治行為が成り立ったという点で、非常に大きな問題をかかえていると考えます。現在、進歩新党が掲げている4大価値、≪平等、エコロジー、平和、連帯≫は旗じるし以外の発展には成っていません。問題はこれら価値を前に出すところにあるのではなく、これを一つの政治的流れでオルタナティヴ社会のビジョンとして作り出すことなのです。党の政治的ビジョンより2008年選挙中心に急造されて、また再び民主労働党に対立する選挙政党として、そして何人かの政治名望家らによって、党のイメージが左右される結果を招いたのも問題だと考えます。

■左派が新しい政党を
 それにもかかわらず、私の考えでは韓国進歩運動はさらに分化しなければなりません。民主労働党が民族主義系列で最も右派にあるならば、進歩新党は中間ぐらいにあって社会民主主義的な政治色を持っていると考えます。それなら問題は最も左派である政治勢力が一つの独自的政治単位で建設されることができなかったということです。もちろん歴史的にこの三つの色合は進歩運動内部に常に存在してきたし、単一な政党内部にもそれぞれこういう色合が一定に混在します。しかし韓国での進歩運動はこの三つの色で一つの政党を作るのが難しいです。特に最も左派でなければならない政治分派は、韓国の特殊な事情上、例えば反共イデオロギーによって禁止された領域だから。またそうでなくても一般的に、資本主義という社会的現実の中では日常的的に、これらが多数を獲得するのが難しいから、独自の政治勢力になるのが難しいのです。
 それにもかかわらず、政治的発展はこれらの成長と共に成り立ちます。ところでこの場合、多数を占める右派が力でこれらの政治的歩みを制約するならば進歩運動は発展できません。こういう意味で韓国の進歩運動は、もう左派が新しい政党を作って、3派が分離確立するところから始まらなければなければならないと考えます。そしてそうなった時、進歩政治で新しい勢力均衡と共に多様な政治的ビジョンと共同行動が可能になることができると思います。
(次号に続く)


2002年7月28日

丹波マンガン記念館 特別展記念講演会より

連載第4回

「ゼロ番地」へ

 山内さんと出会ったのは実はシンナーを吸っているときでした。山内さんの弟と僕は同級生でした。一緒にシンナーを吸っていて、彼は真面目な性格で、見付ける度にやめろ、やめろと追い回していた。それがぼくと山内さんの出会いです。僕の家は中学校二年生のときにうつってこざるをえない、親父が経済的に破綻して、家を全部売っ払わないとしょうがない。
 ということで「ゼロ番地」のわれわれが住んだ家に、おやじとおじさんと兄貴のつくった家なんです。結構技術者なんです。自分で自分の家をつくりよるんです。こう考えてください。こちらに鴨川が流れていて、堤防があります。こちらに高瀬川があります。こっち側にまた堤防があります。私の家は鴨川ではなく高瀬川にあったんです。坂がきついわけですね。鴨川は広いけど、高瀬川は間口が狭いんです。そこをいっぱいいっぱい使って家をつくるんです。設計図も何もないです。自分らで買ってきた材木とベニヤ板で。たぶん三週間くらいで家をつくったんだと思うんです。そんだけ技術をもっている人間が食えない、就職できないんです。うちの兄貴も二人ともそうですから。もともと中学でたらすぐ職工ですから。もっとひるがえって言うならば、バイトをやってへん兄弟は誰一人おれへん。小学校から家にお金を入れるのは当たり前やと。今の子どもいうたらナンセンスって言われそうやけど。
 実は僕も小学校五年生から新聞配達をやりました。中学校に入ったら牛乳配達をやりました。なにがいいって、新聞配達は重たいんですよ。歩かなあかんし。牛乳配達は自転車でしょ。なおかつ牛乳を持って帰る権利がある。残ったやつを帰りしなに、友だちの家に持っていきながら自分の家にも持って帰る。バイト料は全部親に渡しました。これはうちの家の鉄則でした。それぐらい貧しかったんです。親父の稼ぎでも食えへん。兄貴らは独立しても自分が食うので精一杯であって、家に仕送りなんかできひんのです。
 ちょっと複雑ですけど、その当時僕がバイトをやっていたと思ってください。そして兄貴が自立している。そしてなおかつ私の処遇問題、どの学校にいかすかということでぐちゃぐちゃやりよるわけです。私はそこで翻弄されるわけです。その中でわたしの人格は形成されていく。さっきも紹介したように三年と二ヵ月間、民族学校にいったことはすぐれていい体験をしたと思っています。ウリハッキョに行かな、たぶんああいう経験はできないであろう。生徒は全部兄弟、上下関係なんてないんです。それこそ今で言われるいじめのようなものは若干あったけれども、徹底して兄弟だったんです、クラス全部。当時私らの時代ですから、(他の日本の)小学校はマンモス校です。民族学校は二クラスしかないんですね。それも一学級三〇人いるかいないかぐらい。また先生がすばらしかった。全員朝大出の二三才か二四才くらい。いわゆる教員資格をもっていない朝鮮大出、こういう先生たちが僕らを指導するわけです。若くて元気のある。
 実は、在日を知りたいと思うのであれば当然のごとくしてマンガン館にいくのは当たり前です。在日がどうして生きてきたのか。これも一個の足跡です。しかしじゃあ、それ以外の在日はどうして生きてきたのか。教育やとか民族組織、そしてプラス在日はどうして生きてきたのか。当然そのことも知ってほしい。
 なぜというならば、これからの話ではそういう民族団体・組織が多くの影響力を及ぼしますし、もっと言うならば日本の民主的だといわれる人たちが我々の生き方、存在に対してコミットしてくるわけです。ぼくはこれからそういう話をやりたい。

私のおじいさんは
どんな生き方をしてきたか

 そのためにこそ、いまお話したように、在日のひとは一体どんな生き方をしてきたのだろう、たぶん全然違う生き方をしてきたと思います。僕のまわりには圧倒的に在日が多かった。いわゆる朝鮮部落ですよ。山内さんとこの七条支部があって、その真隣りに東九条があって圧倒的に朝鮮人だった。結構うちはそういう家でしたから、自分のお爺さんやお婆さんの話を聞きました。朝鮮半島から渡ってきて、在日一世ですね。どんな仕事を最初にやったか、実はこれ聞いたのは山内さんと出会った後なんです。山内さんと出会って反差別の闘いをやっていかなあかん、とりわけ部落差別の問題を学習しました。サントリー(三取り)という、ウイスキーの会社じゃなくて、犬取り、くそ取り、ゴミ取りこれが部落の主要な産業。私のおじいさんが、母方のお爺さんですけど、済州島からきて一番最初にやった仕事は大八車におけを置いてくそ取りにまわる仕事です。来たときからもっとも日本社会の抑圧された人たちの仕事を奪わざるをえないくらいの生き方をやっているわけです。
 今でもその伝統があります。東九条には多くの在日のゴミ屋がいます。わたしの家の隣りの隣りのガレージにはいわゆるパッカー車が五台ほどとまっています。町内中がゴミ屋だらけです。はっきり言って。今でこそね、廃棄物処理業者というのはもうかりますけど五〇年前、あるいは六〇年前、もっとひるがえって私が十九で私もゴミ屋しました。かっこええ仕事やと思いますか?けっしてかっこええ仕事やないわけです。わたしの場合は京都の祇園というところがありまして、朝の二時から一〇時までの仕事です。一般廃棄物とちゃうわけですね。商業廃棄物でお店が出すものです。いずれにしても、私のおじいさんがきたときに一番最初にコミットしたのが部落です。部落のもっている産業をとりに行かざるをえなかったわけです。(つづく)(つづく)
米原子力空母横須賀配備撤回
9・26全国集会に3500人結集
 全国実行委員会(平和フォーラム・全国基地ネット・平和センター関東ブロック・神奈川平和運動センター・三浦半島地区労)は9月26日、横須賀市のヴェルニー公園で「空母母港化36周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化1周年抗議・原子力空母配備撤回を求める9.26全国集会」を開催し、全国から3500人が結集した。
 平和フォーラムの藤本泰成事務局長、神奈川平和運動センターの宇野峰雪代表、山城博治全国基地ネット事務局長(沖縄平和運動センター事務局長)、呉東正彦母港問題市民の会共同代表、金子豊貴男厚木爆同副委員長の発言の後、集会アピールを採択し横須賀基地前までデモ行進した。


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