第18号(2009/12/5)●4面
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右派・中間派・左派3派の分離鼎立(その2)
[進歩戦略会議討論会寄稿]

進歩評論編集委員パク・ヨンギュン2009年3月23日
訳/黄 泳洪


2.
社会主義労働者党建設準備会の歩みに対する
考え、性格、建設経路などに関する評価


■ 緊急の歴史的責務

 現在、私は社会的・大衆的に韓国の進歩運動内部の3派が公然と論争するべきだと考えます。また、一つの独自の政治勢力として、自身の路線とビジョンにかかわる政治の歩みがはっきりとわかるような組織的勢力にならなければならないと考えます。このような点で私は、社会主義労働者党建設準備会(略称「準備会」)に期待をかけています。韓国の進歩運動の歴史と労働運動の発展を見るならば、はなはだ遅れた感じがあり、それにも拘わらず、この様な歩みは大変重要です。特に、世界経済危機と新自由主義の矛盾など資本の限界が表面化している今日の時点で、「新しいオルタナティヴ政党」の建設は、何よりも緊急の歴史的責務です。
 しかし、党建設が直ちに彼らを「社会的に有意義な独自の政治勢力」にするのではない。独自の政治勢力になるためには、第一に、多様に分化している左派運動などの内部で一つの政治勢力化に向かった熱望と流れを作り出すこと。第二に、党建設過程が大衆を政治化して政治的主体へと形成する公然たる論争の過程になること。第三に、党建設過程が大衆の熱望を汲み入れた政治的ビジョンのもとでの大衆的政治行動を通じて成り立たなければならない。
 しかし私が見るに、「準備会」の党建設過程は、左派内部でも、社会的にも政治的流れを作るのに失敗している。もちろん自ら全国的な巡回討論をして、いろいろ重要な政治議題などの論議などを大衆化している。しかし問題は、こういう大衆化というものが「労働現場」に限定され、あまりにも狭い「労働者階級中心性」に捕らわれている点にある。私は、今日の進歩運動の成功は決して過去のような労働者階級運動からは得られないと考えます。今日、世界は変わった。過去には労農同盟が重要だったとすれば、今日、より重要なのは社会運動と労働運動の結合であり、社会運動の赤色化、労働運動の政治化です。

■ もうひとつの社会をつくる
  構成権力への意志

 韓国の労働運動は、すでに労使の交渉パートナーシップとして存在している。人々は労働運動の政治化を、労働法によるゼネストをもって政府を相手にすれば政治化と考える傾向があるが、レーニンはそのような闘争を政治闘争と言ってはいない。政治闘争は「権力への意志」の問題。すなわち代替権力、もうひとつの社会を創る構成権力に対する意志の問題です。労働法は、明白に資本と賃労働の交換、その契約の法律的体系で、従ってそれは経済的利害の問題であって政治的利害の問題ではない。
 韓国での労働者階級中心性は、「現場か、そうでないか」または「労働者の利害か違うか」に縛られている。だから社会運動の重要性を把握できず、市民運動=プチブルジョア運動というレッテルだけが大手を振っている。だから社会運動側から見れば、労働運動は労働者利己主義に見える。なぜなら自分の利益のためにだけ戦うから。事実、そのような批判を聞くことが多くある。ハントン契約職ストライキの時も、KTX非正規職ストライキの時もそうでした。従って問題は、外部からの批判に対し「あの野郎は、私と違う道を行くのか」という式でなく、本質的にそのような問題がなぜ出てくるのか、自身を振りかえらなければならない。

■ 党を創るということは

 今日の労働運動は資本とワンセットで、労使関係は明白な資本ー賃労働の契約的関係の枠組み内部にある。従って党を創るということは、こういう労使関係を革罷(無くすこと)する。今日、民主労総の問題は単に道徳性の堕落問題とか、いくつかの労働官僚の問題ではない。それは、資本とのメカニズムの中に入って資本の抱き込みー体制内的改良にある。従って問題は、正規職と非正規職、大企業と中小企業、国内労働者と移住労働者、そして女性労働者などの分断支配を克服する「階級統一」と「階級意識」を創出することにある。それは現場の利害・労組の枠を抜け出さなければ不可能。党の形式もまた労組という枠組みを抜け出さなければならない。現在進められている党建設は、労組という枠組みを抜け出ていない。労働者らの闘争を国家権力に向かわせたことだけが違うだけ。だから、もうひとつの社会に対する具体的ビジョンもなく、単に「労働者階級政党建設」という旧態依然のスローガンがあるだけ。韓国社会の進歩陣営の左側には、制度を拒否して反資本主義的なもうひとつの社会を構想して実践する多様な集団がある。それなら党建設は、これら集団の中に一次的に党建設の社会的流れを創り出さなければならない。彼らを包含できる戦略と戦線が摸索されるべきである。私の考えでは、それは「コミューン」です。

■ 幅広い真の左派政党を

 外から見ていると、「準備会」は階級中心性で労組現場だけに注目し、多様な立場と観点を引き入れていない。去る8月11日の「準備会」出帆式で提示された△社会主義政党、△労働者政党、△エコロジー、女性、少数者など21世紀社会変革課題、△社会変革のための政党、△民主的な政党、△党員が日常的に行動する政党というのも同じこと。ここでは、核心が何なのか、またこれらの関係性に対する説明もない。スローガンの羅列。
 問題は急進民主主義、社会運動、無政府主義までを含んだ真の左派政党を作ること。政党は単一ではない。現在よりはるかに幅広い党建設運動が進行されなければならない。門戸をより開放するためには、「労働者階級政党」とか「社会主義」という旗印を掲げるべきでない。それは「労働者の力」よりさらに右側や左側にいる多くの勢力たち、特に社会運動勢力を排除する。政治テーブルはより広く、社会的に公論化できる水準で行くべきで、それぞれの争点が、この社会での争点へイシュー化されるべき。事実、エコロジー、女性、少数者などを羅列すればそれが接合されるように見られるが、全くそうではない。女性、少数者の問題は人権概念に対する新しい革新を必要とする。
 綱領も大衆闘争の中で得られた経験などが溶け込んで行く時に豊かになり、綱領作業過程が即ち組織の建設過程である。この討論と論争を通じて大衆を政治的主体に変える。「準備会」の活動は、そのような大衆的な公論化、争点化、議題化が成り立っていない。このような点で、やせこけた「労働者階級政党」という骨格に止まっている。私はそれが怖いのです。(次号に続く)


マルクスとエンゲルスによる資本主義の礼賛

―貨幣の魔力―(2)

法政大学名誉教授
尾形 憲



 マニフェストばやりの昨今である。私たちも161年前のマニフェスト―『共産党宣言』(“Communist Manifesto”)に立ちかえってみよう。
 「ブルジョアジーは、歴史上きわめて革命的な役割をはたしてきた。……ブルジョアジーがはじめて、人間の活動がなにをなしとげうるかを、証明した。彼らは、エジプトのピラミッドや、ローマの水道や、ゴチック式の伽藍とはまったく別の驚嘆すべき大工事をなしとげ、民族の移動や十字軍とはまったく別の大遠征をおこなった。…ブルジョアジーは百年たらずの階級支配のあいだに、すべての過去の諸時代を合わせたよりもいっそう大量的な・いっそう巨大な・生産諸力をつくり出した。自然の諸力の征服、機械、化学の工業と農業への応用、蒸気船、鉄道、電信、世界のあらゆる地方の開墾、河川航路の開発、呪文をもって大地からよびだしたようなおびただしい人口―これほどの生産諸力が社会的労働の胎内にねむっていたことを、過去のどの世紀が予想したであろうか?」
 今マルクスとエンゲルスがよみがえって、彼らの死後この100年あまりの間の資本主義の生産力の上昇、そのなしとげた仕事を見るなら、彼らは改めて驚きの目を見はることだろう。
 補給なしに世界一周できる潜水艦、アメリカから無着陸でヨーロッパを往復できる爆撃機、月への到達、バイオ、そして原爆等々。彼らが夢想さえしなかったこのような生産力の上昇は、何よりもコストダウンや新製品の開発により勝ち残ろうとする資本間の競争―それは究極では戦争に至る―によってもたらされたものである。
 ギリシア神話のシシュフォスは、生前の悪業のため死後大きな石を山頂に押し上げる仕事をやらされる。やっと上に着くや、石は下に転がり落ちてしまい、彼はまたはじめからやりなおさねばならない。資本家が資本家である限り、利潤目あての、絶えず生産性向上を伴う生産、販路の拡大は、シシュフォスの苦役と同様、彼にとり永遠の至上命令になる。生産力の向上は資本主義にとりその誕生とともに与えられた“使命”だったのである。
 だが、自らの呪文によって地下から呼び出した魔力がもはや手に負えなくなった魔法使いと同様、考えられもしなかったような生産力の上昇の使命、それによる前回見たような過剰生産、過剰豊富と過剰消費の社会を。資本主義は自らの手で否定せざるをえなくなる。はじめは周期的な恐慌、そして後には戦争によってである。
 このような資本主義の巨大な生産力の原動力は貨幣だった。もともと人間がその生活のため、交易のため作り出した貨幣は次第に独立して、あたかも人間が自らに似せて作り出した神が人の上に立ち、人を支配するものとなったと同様に、「物神」として立ち現れるようになる。手段だった貨幣は今や目的となり、そのためにはあらゆる犠牲を払い、殺人や詐欺などあらゆる犯罪―そして戦争をも辞さない。ついで貨幣は資本に転化することにより自らの分身を生み出す。それは自己増殖のため労働力を商品として買い、これを生産手段と結合させることにより剰余価値=利潤を創出する。生産資本である。さらには「利子生み資本」として一見まったく無媒介的に、そして無限に、あたかも生きもののように繁殖してゆく。
 貨幣の魔手の行くところ『宣言』で言うように、「これまで尊敬され崇められていたすべての諸活動」は後光をはぎとられ、ひところ日本が悪名を高くしたことだが、ピカソの名画、ハリウッド、そして教会さえもその前に屈服した。それは今や時には一国の首脳のポストでさえ入手可能にさせた。それが利子生み資本として投機と結託するとき、1973年に約4兆ドルだった外国貿易相場は、2007年には約770兆ドルに達した。一方、世界の貿易と直接投資は合わせても約19兆ドル。外国貿易相場のわずか9日分の取引額にすぎない。
 しかし、一旦バブルが崩壊するや、たとえばサブプライムローン関連による世界の金融機関の損失は、09年3月の推計で累計2兆2千億ドルと、08年4月の9459億ドルの2倍以上である。金融危機は実体経済を直撃し、とくに過剰消費国のアメリカの生産が受けた打撃は大きく、自動車のビッグ・スリーの2つまでもの破産となった。
 前回の冒頭で見たスウェーデンの武器輸出にしても、「武装中立国家としては防衛産業の育成は必要であり、防衛産業維持のためには武器の輸出は不可欠である」と言うが、「交戦国への輸出は慎重に回避」しても、輸出先の国での民衆の弾圧にその武器が使用されているかも知れないのである。
 (本稿は日中友好元軍人の会『8・15』2009年8月号、No.477から加筆・訂正して転載したものである。)

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