 徐 勝
ソ・スン
1945年、京都生まれ。現在、立命館大学法学部教授(比較人権法、韓国政治論)、同大学コリア研究センター長。1971年、ソウル大学校に留学中、陸軍保安司令部によって国家保安法違反容疑で逮捕され、19年間服役し、1990年出獄。1994年多田謡子反権力人権賞を受賞。
主な編著書:『朝鮮半島の和解・協力10年―金大中・盧武鉉政権の対北朝鮮政策の評価』(御茶の水書房、2009年)、『だれでも故郷はあるものだ―在日朝鮮人と私』(社会評論社、2008年)、『北朝鮮が核を放棄する日』(晃洋書房、2008年)、『東アジアの冷戦と国家テロリズム―米日中心の地域秩序の改変のために』(御茶の水書房、2004年)、『獄中19年 韓国政治犯のたたかい』(岩波新書、1994年)他。
植民地支配は犯罪である
「米日中心」から
「民衆中心」の「東アジア地域秩序」へ |
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2010年は日本の朝鮮併合100年、韓国の光州民衆抗争30年、4月学生蜂起と日米安保条約改定50年の大きな節目の年。徐勝氏は、この100年の歴史は、「過去の事ではない。日本の朝鮮人蔑視と朝鮮支配は、現在も、日本人の意識の中に現存している」と指摘されています。また、徐勝氏は朝鮮半島・東アジアの平和、相互理解・協力を目指して実践されています。そこで、この歴史の大きな節目で、日本の犯してきた朝鮮侵略100年の誤りをどう観ておられるか。この歴史を踏まえて、わたしたちは、これからの日本と朝鮮半島、東アジアの平和をどう構想すべきか。徐勝氏にお聞きした。――――――編集部日本の朝鮮併合100年を
どうみるか
2010年は日本の朝鮮併合100年で、すでに日本の側からは「反省と和解」、韓国側からは「国恥100年」など、さまざまな運動と行事が予定されています。日本の併合100年だけに固着している嫌いはありますが、いずれにしても、日本の朝鮮併合100年を契機に、その侵略と植民地支配清算の未完の課題を明らかにするのは意義のあることでしょう。
和田春樹さんが『世界』(08年4月号、岩波書店)「韓国併合100年と日本」で、この節目に当たり、課題を@日朝国交正常化、A独島(ドクト)問題、B従軍慰安婦・強制連行労働者問題、C天皇訪韓の4つに要約している。Cを除いて、妥当な指摘です。1965年の日韓正常化交渉は南の半分とだけの植民地支配の決着であって、北半分との正常化は緊急の課題です。ABについて、民主党政権になったからといって、たやすく解決するとは思えません。Cについては、天皇が閔妃陵を尋ね謝罪するという劇的シナリオを考えているようですが、天皇の体面を慮る保守派が賛成するはずが無く、実現の可能性は希薄です。あるとしても、天皇のご威光に頼って加害の歴史の手打ちをしようとする考え方は疑問です。日韓両政府は併合100年で歴史問題の謝罪と和解の区切りをつけたいのだろうと思いますが、それは限界があります。
まず、第一に、日本の朝鮮侵略・支配は100年前の日韓併合条約から始まったものではなく、100年経ったから、清算されるものでもない。日本の朝鮮侵略は1875年の江華島事件から始まっています。つまり、日本の海軍測量船「雲揚号」が江華島を攻撃した「砲艦外交」から始まっており、実質的に朝鮮を植民地化したのは、1905年、日露戦争であり、100年は象徴的ですが、実質的な侵略の歴史は130年になります。
第二に、日韓併合100年では、植民地支配された「大韓帝国(韓国)」が現在の韓国と重なって、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とどう向きあうかという視点が、ややもすると見えない。特に「日朝ピョンヤン宣言」での「過去の問題」が、日韓基本条約では言及されていない問題に注目するなら、朝鮮全体に対する日本の植民地支配の罪責はまだ清算されていないのです。
第三に、より重要な問題は、日韓条約の中でもあいまいにされた、「併合条約」の「適法」性です。適法な国際条約であったというのが、現在も、日本政府の公式的立場です。「強制条約の無効性」を明確にする必要があります。
第四に、昨年8月8日の靖国反対東アジア共同行動で、韓国側から朝鮮併合100年の話が出たところ、台湾の人たちは「私たちは115年だよ」と言いました。東アジア全体ではアヘン戦争(1840年)から考えると、170年。明治維新以来、日本が北海道(蝦夷)、琉球、台湾などの併合へと侵略・植民地支配を拡大していった過程から考えると、140年になります。だから、併合100年を契機に韓国に謝罪がなされたとしても、東アジアとの「謝罪と和解」という話にはならない。私は、これを機に東アジアにおける近代以降の歴史全体の中での朝鮮を全面的に見直す必要があるだろうと思います。
南アフリカ
「ダーバン宣言」に触発されて
「歴史的人権」概念で考える
私の東アジアの歴史的人権侵害、人道に対する罪の考え方は、2001年8月から9月にかけて、南アフリカのダーバンで行われた反人種主義、差別撤廃世界会議での「ダーバン宣言」によって触発されました。宣言は、奴隷制をはじめとするヨーロッパの非ヨーロッパ世界に対する支配が人道に反する罪であるという問題提起をしました。すなわち、奴隷制、奴隷貿易が重大な人道上の犯罪であることを認め、西欧が謝罪し、責任を明確にするべきであり、その中で東アジアの事にも言及しながら、第14項で「植民地支配は人道に反する罪」だと言っています。「奴隷制、奴隷取引は非合法である」という国際法上の規定は、すでに20世紀の初めからなされていますが、歴史的謝罪と賠償はなされていないし、「植民地支配が犯罪である」という規定はありません。歴史的な人道的犯罪を「責任の問題」として提起したのはおそらくこれが初めてです。ダーバン会議では、イスラエルのシオニズムの問題もあり、アメリカは会議場から席をけって出ていきました。私はダーバン宣言が提起した問題は、21世紀における最大の人権問題として注目を浴びる争点となると予想しています。
日本において一般に「人権問題」というと、差別問題など「現在ある問題」として考えられがちですが、歴史的な人権侵害の問題が浮上しています。英語で「delayed justice」(「移行期の正義」あるいは「時遅れの正義」)といいますが、強大な権力によって行われた人権侵害あるいは人道上の犯罪は、権力が健在である当時は、それを糾す方法がなかったのですが、権力が移った時に、正義を実現できるという概念です。例えば、光州事件です。光州の市民が虐殺された当時は、権力者の犯罪を裁けなかったが、1987年、6月民主化大抗争をへて、権力が移動して初めて、遡及法を作って、全斗煥、盧泰愚を法廷に立たせることができたのです。
日本では過去の権力の犯罪を裁くことを「時効論」で排斥してきました。ヨーロッパの人権条約など国際的な人権法では、人道上の犯罪に対しては時効がないというのが通例です。
民主主義発展のために
「過去清算」が不可欠である
私は壮大な「ダーバン宣言」の精神、すなわち16〜17世紀以降の西欧中心の世界秩序の転換の中に、日本の朝鮮併合100年も位置づけられると思います。西欧が非西欧に対して行ってきた植民地支配、戦争、奴隷制など重大な人権侵害の清算を21世紀に行わなければならないのです。
韓国では過去清算が、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権のもとで一定程度進められました。かつて植民地時代と解放後の独裁政権のもとで行われた人権侵害あるいは公権力の犯罪を今、清算しようとすることは、「意趣返し」などではなく、正義の観点で人道に反する犯罪を断罪し、再発を防止する重要な事業です。
すなわち「過去清算」とは過去のことをほじくり返そうとするものではなく、民主主義をより成熟したものにするためのものです。西欧市民社会とその政治的なシステムである代議制民主主義は、きわめて限定された特殊なものでした。白人男性、それも有産者のみの特権が歴史の過程の中で、男女平等が認められるようになり、制限選挙から普通選挙に移っていって、民主主義が拡大しました。そこで一番遅れてきた部分が、植民地宗主国と植民地との関係でした。それは大部分の植民地が解放された第二次世界大戦以降、解決されたという考え方もありますが、実際に植民地支配下で行われてきた権力の犯罪は清算されることなく、そのまま放置されてきました。
日本の場合は、従軍慰安婦、南京虐殺、強制連行、またアイヌや琉球の支配までも、侵略・植民地支配の負の遺産に対する清算は、ほとんど何もしてこなかった。そういう視点から考えるなら、民主主義が、その建前にふさわしいものになろうとするなら、もっと普遍的なものにならなければならないのです。その最後に残された重要な課題が「西欧と非西欧」、言い替えると「文明と野蛮」の歴史、文明の名において非西欧を侵略支配した野蛮の歴史をどう克服するかということなのです。だから韓国の金大中・盧武鉉政権で提起された「過去清算こそが民主主義の発展のために不可欠だ」という主張は、韓国一国にだけ有効なのではなく、アメリカや日本やヨーロッパ諸国こそが肝に銘じなければならない課題なのです。その問題をいかに解決していくのかということが、彼らの民主主義が建前だけではなく、本当の民主主義へと成熟してゆくための絶対条件なのです。
日本の朝鮮併合100年を、「日韓の問題」、「100年だけの問題」とするのは余りにも狭い。ダーバン会議の「文明と野蛮の支配構造」を根本的に見直そうという流れの中で、位置づけるべきです。
靖国問題や従軍慰安婦の問題にしても、日本と東アジア諸国との民族的小競り合いという形で矮小化されていくことを防ぐためには、「韓国併合は合法的だった」という主張に対して、「あなたたちの強制占領だ」という主張だけではなく、アイヌの北海道、琉球、台湾などを併合した流れの中で行われてきた犯罪も同時に解決していく視点の中でこそ、初めて、日本の朝鮮併合100年の意味を、台湾、沖縄の人たちと共有できるようになります。21世紀は「支配された者たちの側からの異議申し立て」の世紀です。
歴史観なき「共生」は
欺瞞的である
帝国内部の支配の制度化とかかわって、「共生」という言葉を拙書『だれでも故郷はあるものだ』の中で批判をしています。「反差別」もそうですが、日本における「多文化共生」という使い方は欺瞞的です。日本の国家がどのような位置にあるのかを問わないで、内部だけで「共生だ」と言っていますが、「共生」はアメリカでも日本でも、一国内のマイノリティーの人的・物的資源を国家目的に動員していくシステムとして機能しています。
「共生」は、同じ環境の中で同時に複数の生命体が存在していることを指し、それぞれの環境内部における関係性、「パワー」の作用を問わないのです。かつての我々が使っていた「矛盾」とか「階級矛盾」という言葉を全部捨象してしまって、その中で自分たちが単純な「構成員のひとり」として位置づけられる。在日朝鮮人たちの多文化共生運動は、限りなく日本人に近い「資格、権利を付与せよ」という運動になっている。じゃあ自分たちはその資格、権利によって何をするのか、という事についてのビジョンが提示されたことはほとんどありません。
大日本帝国下において、朝鮮半島から日本に移住した朝鮮人に参政権が付与されていた。その中で典型的なのは、貴族院議員にまでなった朴春琴(パク・チュングム)です。彼は「朝鮮人も天皇の赤子だ。どうして朝鮮人を差別するのか」という「反差別主義」の立場で、天皇への忠誠を誓って、皇民化運動の先頭に立ちました。朝鮮総督の南次郎も基本的には「朝鮮人を差別して、どうして皇国臣民として育てられるのか」という立場でした。
吉野作造も満州や朝鮮を視察して、「こういう差別をしていては、大日本帝国は立ちゆかない」と述べています。かれらにとっては大日本帝国という多民族帝国を繁栄発展させるためには、さまざまなリソースを動員する必要があったのです。帝国主義的多民族共生論です。日本国家の性格を問わない共生論は、植民地時代に「帝国臣民」の平等を訴えるのと同じ論理だとも言えます。
日本がアジアに対する、「歴史的人権」の清算をしていない現在、アジアと、さらにいま、北朝鮮に対してどうむき合っているかを考えると、在日朝鮮人が日本人と同じ権利を付与されて、それでよしとするのかを考えてみるべきだと思います。
私がアメリカにいた頃のことです。1994年、北朝鮮の第一次核危機が起こり、アメリカ上院では北朝鮮爆撃を決議して、シミュレーションがなされました。この時、在米コリアン(北朝鮮出身者も多い)は、自分たちの故郷が爆撃されたり、自分たちが動員されて銃を持って父母兄弟と戦うことになったらどうしようか、と具体的に悩みました。彼らは手紙を書く運動を起こし、アメリカ議会に朝鮮との戦争をしないでくれと訴えた。アメリカの市民権をもっているコリアンは戦争が起これば銃を持って戦わざるをえないのです。日本の場合にも、今年の4月にミサイル騒ぎがあった時、朝鮮へのミサイル先制攻撃云々という議論がありました。仮に在日朝鮮人たちが参政権を持っていたとすれば、自らが責任の一端を負わなければならない。それを喜んで負っていこうということになりかねないのです。自分たちが権利を獲得した場合、どのような義務と責任を負うのかを不明確にしたまま、参政権運動がなされています。差別に反対し、そのまま加害者・支配者の位置に移行していくことにならないのか、という視点がまったく脱落している。それを私は憂慮します。
東アジアの平和の構想について
日本中心、日米中心の東アジア支配を
転換させることこそが、
最も大きな歴史的課題
日韓の問題を「文明と野蛮」という問題に結びつける上で、東アジアというコンセプトは重要です。「アジア」という概念はアジア人がつくったものではなく、西欧によって押し付けられた地域概念ですが、日本は明治以来、アジアという言葉を日本中心の地域秩序概念に作り変えました。「日本主義」とは言えないから、「アジア主義」あるいは「大アジア主義」という言葉で日本中心の地域秩序を表してきた。日本で観念されている「東アジア」は、まさしく「大東亜共栄圏」と重なり合うものです。
歴史地理的概念は自然地理的概念ではなく、人が歩いて道ができるように、侵略と支配、流血と搾取がその道を踏み固めてきた概念です。東アジアというのは、明治以降の日本の帝国主義侵略・支配の中で踏み固められた概念です。だからこそ、日本がアングロサクソンとの同盟の中で築き上げてきた東アジアという帝国主義支配の地域秩序を逆転させ、この地域に住む人々が主人になる地域へと作り直すことこそ歴史的課題なのです。
これは、世界史における前近代、そして近代以降の帝国主義支配、それから今から始まろうとする帝国主義支配の没落という、大きな三段階の歴史的展望の中で提起される問題なのです。だから、東アジアの未来にとって、明治以降の日本中心の東アジア支配あるいは第二次世界大戦後の日米支配をどのように終焉させるのか、これこそが最も大きな歴史的課題になるのです。
東アジアの平和、具体的
構想について
具体的には、ダーバン会議の精神を受けて、「東アジア平和・過去清算宣言」、あるいは「東アジア歴史・人権・平和宣言」を出すべきだと思います。先ほど申し上げたように、アヘン戦争、明治維新以降、行われてきた抑圧の歴史をどのように逆転させるのかということを、宣言と具体的行動計画によって示す必要があります。
そして、その行動計画に従って、東アジア共同の「真実和解委員会」を形成する必要があるのです。真実和解委員会は、南アフリカとか中南米、韓国の過去清算の過程で生まれたものです。真実を明らかにし、責任の所在を明らかにし、かつてなされた不正に対して正義の回復をしようとするものです。東アジアにおける、「歴史的人権」つまり近代以降積み重ねられてきた人権侵害に対して、世界史的視野で非西欧諸民族とともに声をあげて回復を求めるべきだと思います。この問題をつまびらかにして、日本が責任をとっていくことが、今後、日本と東アジアの協働の核心になるだろうと思います。
いま、「東アジア共同体」が話題になっていますが、そう簡単なことではない。しかし前提としての経済交流と文化的・人的交流はかなり進んでいます。次のステップとしては、「安全保障・平和共同体」のようなものが作られる必要があるのでしょう。朝鮮半島の核問題から始まって、朝鮮戦争を法・政治的に終結させる「朝鮮半島平和体制」が成功裏に構築されれば、信頼醸成を進め「東北アジア非核地帯」形成を経て、ゆるやかな地域安全保障・平和共同体が展望されるでしょう。その「安全保障・平和共同体」と同時に、歴史的人権の解決が東アジア共同体の前提になります。
当面の課題は、「東北アジア非核地帯」をつくる事です。それから「安全保障・平和共同体」を構想し、通常兵器などの軍縮と相互信頼の増進を通じて、非軍事的手段による相互関係が進んでいくだろうと思います。ところが、その核心に、日本が北朝鮮問題にどのように向かい合うのかということがあります。脱植民地と脱冷戦の課題がここに重なっています。これをクリアしないと、「東北アジア非核地帯論」も絵に描いた餅になってしまいます。ひとつひとつが難関です。
【日本の朝鮮侵略は江華島事件から始まった】
1875年9月
【日本の朝鮮侵略の開始】日本は朝鮮に対して「砲艦外交」を行なった。日本の国家権力は、海軍測量船「雲揚号(うんようごう)」を、朝鮮王朝の首府漢城(ソウル)の喉元に位置する江華島(カンファド)に派遣し兵隊を上陸させて、江華島砲台を破壊し永宗城要塞を占領、民家を焼き払った。
1876年2月
【日朝修好条規】日本は朝鮮の釜山・仁川・元山の3港開港と領事裁判権および無関税特権を獲得した。
1902年1月
【日英同盟協約】大日本帝国は英帝国との間で、清国における日英両国の利益および大韓帝国における政治・経済上の利益を他国の侵略や叛乱からから防衛するため、危機に際しては日英両国が適切な処置を取るという協約を締結した。
1904年2月
【日韓議定書】大日本帝国は、日露戦争の開戦(1904年2月8日)から2週間後、大韓帝国に強要して、第三国から大韓帝国を保護するという名目で、大韓帝国内での大日本帝国軍の行動の自由を獲得した。
1904年8月
【第一次日韓協約】大日本帝国が大韓帝国の財政・外交顧問への大日本帝国政府推薦者の任用権を獲得した。
1905年10月
【第二次日韓協約】大日本帝国が大韓帝国の外交・軍事権を奪い、京城に朝鮮総督府設置を規定した。
1907年7月
【第三次日韓協約】朝鮮総督府総監が大韓帝国の内政全般を掌握し、大韓国帝国軍の解散を規定した。
1910年8月
【日韓併合条約】大日本帝国が大韓帝国に強要して、大韓帝国が統治権を完全かつ永久に大日本帝国へ譲渡することを規定した。
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徐 勝・中戸祐夫編
朝鮮半島の
和解・協力10年
金大中・廬武鉉政権の
対北朝鮮政策の評価
A5判上製320頁・定価2940円(税込)
御茶の水書房
〒113-0033
東京都文京区本郷5-30-20
Tel.03-5684-0751
Fax.03-5684-0753 |
連帯労働組合、生コン産業労働組合、北大阪合同労働組合などは合同で訪韓団を結成。11月5〜9日に韓国を訪れ、建設労組事務所訪問・ヨンサン惨事闘争現場訪問・全国民主労働組合総連盟(民主労総)全国労働者大会と前夜祭への参加など韓国の労働者・労働組合との交流を図り、韓国社会とそこで働く労働者の現状、その闘いを学んだ。そして、韓国の仲間とともに「労働者の思いは一つ」であることを互いに確認し合い、国境を越え連帯し、資本・権力と闘うことを誓い合った。
特に、現在、韓国政府はトラック・ダンプ運転手や建設重機労働者を「個人事業主」と規定し労働者性を否定。昨年末にはこれらの労働者を組織する建設・運輸両労組に対し労働部のソウル南部支庁が「自主的に是正しない場合、労組法違反で法外労組とみなす」と圧力をかけてきた。政府側が本年末にもさらなる強硬手段に訴えてくる可能性も懸念され、これに対する反撃の闘いが激化している。今労働者大会は、このような緊迫した状況下で開催された。

労働者大会が前日に迫った7日、訪韓団一行はソウル市ヨイド公園において開催された前夜祭に参加した。ここでは、清掃労働者、港湾労働者、自動車労働者など様々な産業で働く労働者が闘いの決意を表明。合わせて、民衆歌謡を歌う歌手やアーティスト、組合員らが歌や楽器演奏、踊りで会場を盛り上げた。
翌8日、訪韓団は、労働者大会の前段で「日韓建設労働者共同闘争決議大会」に参加。ここでは、訪韓団及び韓国の建設労組の代表それぞれが決意を表明。連帯してより一層共同闘争を進めていくことを決議した。
この後、ヨイド公園において開催された「チョン・テイル烈士精神継承2009全国労働者大会」に参加。ここには、韓国全土から組合員や社会運動団体のメンバーなど5万人が結集し、世界大不況の中で労働者・民衆に一層の犠牲を強いるイ・ミョンバク政権への怒りを爆発させた。
民主労総は同大会において、@複数労組の窓口一元化と専従者への賃金支給禁止など、労働組合抹殺政策の粉砕、A非正規職法および最低賃金法改悪阻止、B社会公共性の強化(民営化および公共性抹殺政策粉砕、四大河川・医療民営化・言論悪法阻止)などを三大核心議題として掲げ、イ・ミョンバク政権に立ち向かっていくことを宣言。
また、大会の中で決議文を発表し、「われわれは今日の全国労働者大会を始発点に、民主主義と民衆生存権を勝ち取るための総力闘争を宣布し、民衆、市民陣営など各界各層とともに汎国民的な反イ・ミョンバク連帯闘争を先頭に立って展開していくことを力強く決意する」と明らかにした。
さらに、民主労総のイム・ソンギュ委員長は、政府が複数労組窓口一元化と労組専従者賃金支給禁止を強行する場合、「12月に80万ゼネスト闘争に突入する」と警告した。
そして、発言の最後には、1970年に「勤労基準法を守れ」と叫んで焼身決起したチョン・テイル烈士の母親が舞台に立ち、「労働者よ一つになれ!一つになれば勝てる!」と訴えた。
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