第22号(2010/4/5)●別紙
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“右側・中間・左側3派の分離鼎立”最終回
民主主義、社会主義について
[進歩戦略会議討論会寄稿]

進歩評論編集委員パク・ヨンギュン2009年3月23日
訳/黄 泳洪



民主主義と
コミューン主義の関係


 私はコミューン主義を「コミュニズム」として表記し、民主主義がコミュニズムの核心だと考える。それは「人民の自己統治形式」という観点。これに対立するものは、「代議制―代表制」、「官僚制」である。
 民主主義のないコミュニズムは、国家の死滅でなくむしろ強力な国家権力に変わってしまう。生産の社会化は、どうであれ国家装置を通じて成り立ち、それは巨大な生産の物的基盤を国家が掌握することを意味する。これを決して無視してはいけない。それはその力を基盤とした権力が立つことを意味するから。
 私たちは国家を強大にするため革命をするのではなく、国家という外的権力による私たちの生に対する統治を、この外的強制力を内的な自己の統治力、自治に変えるために革命をする。こういう意味で、民主主義的コミュニケーションと決定、民主的装置の構成のないコミュニズム的社会の構成は不可能である。このような点で、民主主義は、コミュニズムの内的本質としての人民の自治と自律的生の構成の中で消滅していく統治原理として作動しなければならない。

終わりに 今、要求される
最小限の「共同行動」


 近づく補欠選挙、2010年地方自治体選挙にどのように対応しなければならないのか。
 私は、長期的に進歩陣営または左派陣営の共同選挙ブロック戦術に発展しなければならないと考える。しかしこれを単純にブルジョア陣営に対応して、進歩陣営または左派陣営が勝つために団結することだと考えてはいない。選挙戦術で勝つのは大変重要なこと。しかし、どのように勝つかがより一層重要である。時には敗北することがより歴史的な意味と経験などを残し、さらに多くの発展へつながる場合もある。
 ここで重要なのは、各分派が政見とビジョンを持って大衆を直接相手にし、自身の候補などを決める政治の場を作ること。単純に勝つために密室での妥協による候補選定は何の意味もない。それは大衆を投票する操り人形として作るから。このために各党は門戸を開放しなければならない。そして各党の政策とビジョン、政治的立場などを大衆に宣伝し、それを通じて、大衆を組織して最終的に民衆選挙戦と同じ形態で候補を決めなければならない。それでどのような候補を支持するのかが、すなわち自身の政治的意思決定ができるようにしなければならない。またどのような候補が民衆と共に闘争する候補なのかもわかるようにしなければならない。問題は、争点と闘争性がはっきりとする公論の場を作ることである。
 これは、現在の状況で見ればむなしい話のように聞こえる。私が最も左側の政党建設に注目すること、または3派の分離確立に注目するのもこのためである。分離確立は自身の立場の中で適切な政治的共同行動の可能性を高める。
 このために、現在進歩新党と左派政党が分離確立するほうが良いのか、一緒にするほうが良いのかは、もう少し計算して見なければならない。 しかし、それが単に共同戦線を否定するためとか、でなければ自分の候補が選挙で勝つためという式に考えて分離確立するならば、それは敗北への道だと、私は考える。
 大衆は結集した力を望む。しかし、その中で政見の差異や政策的差異、ビジョンの差異を無視するものではない。大衆はそのような路線の差異を認知し理解する。しかし、そのような差異も解らない大衆は、理解できずに「分裂主義者」という烙印だけを押す。従って(韓国の)現在状況では、この差をはっきりしながらも、共同行動を取ることができる戦術を探さなければならない。

最後に
「度量の大きい政治」を


 左派運動は「度量の大きい政治」をしたら良い。政治的立場と差異を隠せと言うものではない。否、むしろさらに明確にしなければならない。
 問題は、この過程が民主的でも相互交通的でもなく、お互いの差異を通じて学ぼうとしないこと。現在の韓国の左派は、「子供」のようである。友人でなければ敵だという二分法だけ。もう、こういう状態から抜け出さなければならない。「論争は激しく、しかし実践は共同的に」とする姿勢が必要。ブルジョアに対抗する戦線を組んで彼らと戦うのに、自身を開放して共にする度量の大きい政治が必要である。
 資本の矛盾が生む無数の問題と闘争が、私たちの眼前にあり、そのような闘争と事案に対し横断すること、想像すること、自分の外に出て行くのが重要である。
 「ヘゲモニー」は、こういう政治的な大きい歩みから出てくることだと考える。
 韓国の左派運動は、ガキ大将たちの派閥で成っている。過去の旧態依然とした考えと観念の中で、古い信頼と道徳、それもブルジョアより良くない道徳の枠組みに閉じ込められている。これでは未来がない。
 革新が必要で、その革新は、他の組織の革新でなく自分の組織の革新でなければならない。 革新は外部に居る人でなく、内部に居る人だけができる。そのような意味で、自分を自分の組織や分派に閉じ込める政治ではなく、自分の組織や分派を抜け出し、外部と積極的に交通し、全体の階級闘争の戦線をまず先に考えて行動する姿勢が必要である。
 ブルジョアたちは「世界」を見、階級の利害のために団結する。
 しかし私たちはどうか? 特に、今日のように階級の敵対的戦線が明確でない状況では、閉鎖された組織は、結局死滅するほかない。今、重要なことは未来。従って未来は、時間のかなたにあるのではなく、現在私たちが息をする「今―ここ」にある。地球的生が破壊されている今日、左派運動がその未来になれば良いと、私は考える。(終わり)
連載
「資本主義の破壊的な開発モデルが地球と人類を脅かしている」

コペンハーゲンで行われた気候変動会議における
ベネズエラのチャベス大統領の演説(2)
翻訳 青西靖夫(開発と権利のための行動センター代表)

【編集部注】 昨年12月16日にコペンハーゲンでおこなわれた気候変動会議における、ベネズエラのチャベス大統領の演説の翻訳である。翻訳者の青西靖夫氏の了解を得てここに紹介する。


7%の金持ちが温室効果ガスの
50%を排出している

 さてあちらにフランスの著作家、エルベ・ケンプ氏がおられます。私も光栄にもお知り合いになる機会を得たのですが、彼の本をお薦めします。スペイン語でもありますし、フランス語、またたぶん英語版もあると思います。エルベ・ケンプの「金持ちが地球を破壊する」。いかに豊かな国々が地球を破壊してきたか。キリストがいうように、金持ちが神の国に行くより、ラクダが針の穴を通る方がよっぽど簡単なのです。これは私たちのキリストが述べたことです。
 金持ちが地球を破壊し続けています。地球が壊れた時に、ほかの星に行くつもりでしょうか?他の星に行く計画があるのでしょうか?今のところ、銀河の範囲内ににはそうした星は見つかっていないようですが。
 この本は、たぶんこの部屋のどこかにいるはずのイグナシオ・ラモネ氏から頂いたばかりなのですが、この本の序文はケンプ氏の非常に重要な言葉で締めくくられています。「力のある者が階段をいくつも降りない限り、また不平等を解決しない限り、世界の物的な消費レベルを削減することはできないでしょう。グローバルに考え、ローカルに行動するというエコロジストの原則は、物事を自覚するときに非常に有用なものです。それに加えて、現在の状況が要求する原則を付け加えましょう。より少なく消費し、より分配すること」これがフランス人著作家であるエルベ・ケンプ氏が私たちに与えてくれる優れた助言なのです。

 さて、気候変動は間違いなく、今世紀最大の破壊的な環境問題です。洪水、干ばつ、猛烈な台風、氷河の溶解、海水面の上昇、海洋の酸性化、熱波の襲来、こうしたすべてが、グローバルな危機で苦しむ私たちに追い打ちをかけるのです。現在の人類の活動は持続可能な枠組みを超えてしまい、地球そのものの生存が脅かされています。しかしこうした危機の中でさえ、私たちは不平等な状況に置かれているのです。
 およそ5億人のもっとも豊かな人々、この地球上の7%、たった7%に過ぎない人々が汚染的な温室効果ガスの50%を排出しているのです。その一方で、貧しい層の50%はわずか7%のガスを排出したに過ぎないのです。
 だからこそ、私はこの会議で米国と中国とを同じレベルに並べることに違和感を覚えるのです。米国の人口は3億人に過ぎず、中国はその5倍の人口を有するのです。それにも関わらず米国は毎日2000万バレルの石油を消費し、中国は560万バレルに過ぎないのです。ですから米国と中国に同じことを要求することはできないでしょう。この会議では、各国首脳はこのテーマについて、真実に基づいて議論しなくてはならないのです。
 さらに、地球上の6割の生態系は傷つけられています。地球の陸地の20%は劣化しつつあります。更に私たちは森林破壊、砂漠化、淡水システムの変化、海洋資源の過剰開発、環境汚染、生物多様性の喪失に対する冷淡な証人でもあります。

 急速に進められる土地利用は、その再生能力を30%あまりも超過しています。技術者の使う言葉で言うところの自己調整機能のキャパシティを地球は失いつつあるのです。日々処理できる能力を超えた排出物が生み出されているのです。私たちの種の生存は人間性のあり方を問うものとなっています。緊急性を要するにも関わらず、京都議定書に基づく第二期に関する交渉は既に2年間が経過しています。そして今回の会議でも明確な現実的な合意を得ることはできませんでした。
 その上に、中国やベネズエラが評するように、どこから出てきたのかもわからないような今回の文書を、ALBA諸国としては受け入れられるものではありません。既に述べているように、条約や京都議定書に関する作業部会において、ここ数年の真摯な議論を積み上げてきた結果でなくては、それは正式な文書ということはできません。
28億人が一日2ドル以下の
生活を強いられている

 会議も終わりの時間に近づき、たぶん皆さんは眠ってもいませんし、昼食もとっていないことでしょう。それにもかかわらず、この場所から意味もない文書が生まれることは納得できるものではありません。
 温室効果ガスを削減するという科学的に裏付けられた目標に向けて、長期的な協力を得るための合意を形成するということに失敗したように思われます。
 その理由は何でしょうか。それは疑うべくもないものです。地球上で最も力を持つ国々の政治的意志の欠如と無責任な態度によるものです。このことを誰も不快に思うことはないでしょう。ここで偉大なるホセ・ヘルバシオ・アルティガスの言葉によるならば、「真実に基づくなら、侮辱することも恐れることもないのです」。しかし実際には無責任な態度、排除、エリート主義的動き、これらはすべての人々の問題であり、すべての努力によってのみ解決できるのです。豊かな国々の保守的な政治志向と大量消費者のエゴは、飢えに苦しみ、病気や自然災害への脆弱性を持つ、貧しい人々への無関心さと、連帯感の欠如を示しています。この明らかに不平等な状況で適用できる、条約の原則を尊重し、その貢献、経済的・金融・技術的キャパシティに基づく、新しくかつ唯一の合意が不可欠なのです。

 先進諸国はガスの排出削減につながる明確で拘束力を持つ約束を定めなければなりません。また気候変動という破壊的な危険に直面する貧困国に対して、資金的・技術的支援という義務を果たさなければなりません。またこの点に関して、島嶼国と開発途上国の独自性は全面的に承認されなければなりません。しかし気候変動だけが人類に影響を与える問題ではありません。私たちを取り囲む災害や不正義、豊かな国と貧しい国の格差は成長を妨げ、ミレニアム目標やモンテレイにおける金融サミットなどにも関わらず、セネガルの大統領が告発したように、いくつ約束をしてもそれは履行されず、破壊的な歩みを続けている、これが真実なのです。

 わずか500人の最も豊かな人々の収入は、4億1600万人の貧しい人々の収入を上回り、28億人は一日2ドル以下での生活を強いられています。世界中の40%の人口は世界の収入の5%を占めるに過ぎないのです。毎年920万人の子どもが5歳になる前に命を失い、それは99.9%が最も貧困な諸国で起きているのです。乳幼児千人のうち47人が死亡していますが、豊かな国では千人に5人しか乳幼児は死亡しません。また世界の平均余命の67歳に対して、豊かな国では79歳です。いくつかの貧しい国では40歳に過ぎません。更に、11億人が上水へのアクセスを欠き、26億人はトイレがありません。8億人以上が非識字者で、10億2000万人が空腹に苦しむ、これが世界の姿なのです。(つづく)


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