違反行為の監視活動、和歌山・兵庫・大阪などの集中した
ストライキ、抗議行動から次の闘いへ! |
連合春闘と中小企業の春闘
大企業を主とした連合の10春闘は、定期昇給を基本に決着を見た。回答を引き出した組合は2146組合、185万7101人(4月13日付)。その内、1823組合、156万424人の平均賃金方式での賃金引上げ額は5102円、引き上げ率1・74%。対前年比は微減。一時金(年間では平均4・50ヵ月・夏季では平均2・21ヵ月)は微増。
一方、連合の中小共闘の回答妥結集計(4月12日付)では、回答のあった1078組合、11万5802人、賃上げは加重平均で4101円、1・60%増、前年対比では微増となっている。パート、派遣労働者の処遇改善、最低賃金の引き上げなどすべて腰砕けとなった。
定期昇給の凍結もあった昨年春闘との対比から、連合では「一定の成果」としている。しかし、日本の大企業の多くは生涯賃金を想定したカーブ型(傾斜型)賃金体系を取り、定期昇給は織り込み済の賃金相当分である。ベースアップを勝ち取ってこその賃上げといえる。連合は、現状の大企業の産業支配のシステムを補完することで自らの命脈を保っている。新しい労働社会を闘い取るリスクを回避し、現状維持と組織維持を重ね合わせることで、事実上、大企業正社員の権益を擁護し、下請労働者・非正規雇用労働者・未組織労働者・失業者を排除する。
さて、中小企業の過半(小規模経営)は、生涯賃金の設計などなく、景気の変動に沿って(換言すれば大企業の産業支配に従属して)、賃金の上げ下げが決まる。
中小企業の春闘が困難であるのは、大企業の回答実績や大労組の闘い方に規定されることである。総人件費抑制論が通り、闘う側が屈服すれば、中小企業の春闘で通常の闘い方では前途は無い。 |
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生コン関連10春闘の現状
関西の生コン関連10春闘は厳しい局面を迎えている。3月31日、生コン経営者会(大阪・神戸の70社)と3労組(連帯労組・生コン産労・全港湾)の交渉は決裂した。4月1日には近畿バラセメント輸送協同組合交渉団(17社)と3労組が交渉決裂、同日近畿圧送経営者会(53社)と2労組(近畿生コン圧送労組・連帯労組)も決裂した。
争点は何か。現象形態としては、賃上げをめぐる中小労使間の対立である。しかし、ことの本質は、労働組合と中小企業協同組合VSセメントメーカー・ゼネコンとの産業支配をめぐる攻防である。未曾有の経営危機を前にしての深刻な攻防戦である。
特に、生コン価格の適正化が致命的に重要である。生コンの性能向上や品質管理強化の必要性により、コスト増は避けられない。しかも、協組による共同販売価格が協組外のアウト業者との価格競争で値下がりしている。この間の需要減とアウト業者との過当競争により、各生コン工場は採算ラインを割っている。
そこで、生コン協同組合は、@セメントメーカーの一方的なセメント価格値上げを抑制すること、A適正な生コン価格の値上げに踏み切ること、B販売店に対し、協組と付き合うのか、品質劣化と安値競争を持ち込むアウト業者と付き合うのかの二者択一を迫ること、C関連するバラセメント運賃の値上げを容認すること、D需要激減に対する供給力削減としての工場の集約・廃棄事業を民主的に行うこと、取引を失う出入り業者の権益を保障すること、E各協組やアウト業者との大同団結をはかること、F協組内で特別待遇社を作らず、公正・平等に運営することなどを確認してきた。しかし、約束が果たされない。特に、生コン価格の適正化運動がゼネコン・メーカー・販売店の反攻で押し戻されている。
建設産業の転換期
こうした現状の背景には、建設産業の厳しい現実がある。そのことを見ておきたい。
生コン関連産業では、年々厳しい経営環境が続いている。建設投資の減少は、公共工事が毎年確実に減少していることと、金融恐慌で民需が激減したことに要因がある。09年度の投資額は42兆円、10年度見通しは37兆7千億円、ピーク時の44%に激減している。建設産業で働く者がピーク時685万人であったが09年末で500万人となった。同じく建設業者数は60万社から50万社に減少した。しかし、需要の減少に比して供給側の過剰感が強く、淘汰の嵐と政府の他産業移行への誘導政策等、大きな変化を強いられる。
連動して、セメント国内販売は09年度が4430万トン、2010年度見通しで3800万トン、ピーク時の44%。生コン出荷は09年が8950万立米でピーク時の45%である。特に、リーマンショック以降の落ち込み方が激しい。
そこで、ゼネコンでは安値受注競争、実施工する下請専門工事業への一律代金カットを強行し、セメントメーカー(数社で国内市場を占有)は一方的な値上げと拡販競争に奔走し、セメントメーカー主導の全国生コン協同組合連合会は1200工場(全国の1/3)を集約・廃棄しようとしている。大企業は自らが窮すれば、当然ながら中小企業・労働者を骨の髄まで吸い尽くす。
困難な闘い
事態は複雑である。労働組合といっても、経済民主化に全精力を注ぎ、資本や警察権力と体を張って闘う関生支部もあれば、セメントメーカーと同一歩調をとって、闘うものを後ろから撃つ建交労関西支部や資本のおこぼれを狙う労組も存在する。あるいは、事業協同組合といっても、執行部の中でセメントメーカーの代理人が支配権を奪おうとしている。危機意識を共通しない多くの経営者達、ゼネコンや販売店やアウト業者に対し、お願いではなく、闘うという姿勢を持とうとしない経営者達が存在する。
しかし、敵も一枚岩ではない。セメントメーカーとゼネコンは利害を共にしない。ゼネコンは、現場用のセメントをメーカーから大量に買うが買い叩く。セメントメーカーは、生コン協組を作る。協組は生コンを買い叩かれずに共同販売価格でゼネコンに売る。協組工場はメーカー指示のセメント価格を支払う。
また、セメントメーカーは、協組の生コン価格の適正化により、安定したセメント価格を収受できるにも関わらず、メーカー同士の拡販競争で、アウト工場の育成に努める。目先の利益のために、アウト工場数を増やしセメント量を拡大するが、協組の解体につながる。
さらに、ゼネコンはコンクリート構造物建設に当たって、生コンの品質管理を強く求める。そのため、協同組合の品質保障体制が不可欠であるが、同時に、多くのゼネコンは生コン価格を買い叩き、協組を崩壊させようとする。
また、悪徳販売店もアウト業者も協組あってのアウトであり、技術的財務的基盤の脆弱なアウト業者及び販売店は、協組が崩壊すれば最も打撃が大きい。
この事業者、独占資本では解決できない矛盾を克服していくのが関生支部の産業政策であり実力闘争である。近畿2府4県にまたがる生コン関連業界の危機に対し、各地域の実情に沿いながら、違反行為の監視活動、地区(和歌山・兵庫・大阪)ごとの集中したストライキ、抗議行動などが取り組まれている。
協同組合を軸とした組織だった事業運営が崩壊すれば、百社単位で中小企業は一気に倒産する。労働者の生活破壊に繋がる。
この4月―5月の攻防において、セメントメーカー・ゼネコン・販売店・協組・アウト業者・労組との錯綜した利害関係が明らかになり、撃つべき対象が限定される。さらに、生コン関連協同組合が誰と立ち向かい、誰と共同戦線を組むのかの判断を誤るとき、近畿一円で、歴史に残る建設産業における一大ストライキが発動されるであろう。
労働委員会が、憲法28条、労働組合法6条の趣旨に踏まえ、派遣・請負・非正規労働者の団交権・団結権を広く認める判断を行うよう、要請します。
〈理由〉
昨今、非正規労働者の比率が激増している一方で、派遣・請負労働者などの当事者の権利、労働三権が脅かされている現状があります。とりわけ、昨年12月のパナソニックPDP最高裁の誤った判決以後、司法が非正規労働者の正当な権利を認めることに消極的になったことは忌々しき事態です。
しかし、団交権をはじめとする団結権は、憲法28条により勤労者全体に保障された基本的人権であり、それを具体化したものが、労組法6条であります。労組法6条の団交権は、雇用契約関係を超えて、使用者団体に対しても認められています。実際、私たち労働者と労働組合には、集団交渉や対角線交渉を行い、また、労働委員会にあっても親会社等への使用者概念の拡大をもって、救済命令を出してきた事実と歴史があります。
翻って、今日の派遣・請負労働者について見れば、例えば、労働安全衛生法上の義務は、派遣先・就労先に存在して、派遣会社や供給元にはありません。派遣・請負労働者が、派遣先・請負先に対する団交権を持たなければ、これら最も基礎的な労働条件についてすら、団体交渉権を奪われることになります。派遣・請負・非正規労働者の団交権・団結権は、最高裁朝日放送事件判決のような狭い視野からではなく、労働者側の視点から、広く認められるべきものです。
最高裁、ふざけるな! 私たちは、労働者の身近な「友人」であるべき労働委員会の方に期待します。労働者の正当な権利のために奮闘して下さるよう、お願いします。
2010年4月6日
全国非正規総行動
吉岡さんをパナソニックの職場に戻し、人権侵害・不当な雇い止めをなくす会
パナソニックプラズマディスプレイ偽装請負事件当事者 吉岡力
愛知連帯ユニオン ゼネラルユニオン東海支部 笹島日雇労組名古屋ふれあいユニオン
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国鉄分割・民営化によってJR不採用=採用差別・解雇された1047名の闘いについて、4者・4団体(原告団910名含む)が、「4党解決案(与党3党と公明党)」を受け入れ、政治解決案に基づく裁判上の和解に向かうことを表明しました。
分割・民営化時の中曽根首相(当時)は「一人も路頭に迷わせない」と発言したにもかかわらず、採用差別・解雇攻撃を実行しました。この中曽根元首相は後に、「スト権スト以来、計画的、意図的に国労つぶしをやった」「国労が崩壊すれば、総評も崩壊することを明確に意識してやった」と語っています。
まさに分割民営化に向かう過程での「ヤミ・カラ攻撃」、1047名の解雇攻撃は、不当労働行為意思も明確な国家的不当労働行為でした。
闘争団はよく闘った
もとより被解雇者としての闘争団、鉄建公団訴訟をはじめとした原告団は、不満を抱きながらも政治解決案をやむを得ず受け入れるという判断をしたと思います。
「つらい厳しい季節を繰り返すこと23年。一筋の光が差し込んでまいりました。」(国労闘争団全国連絡会議神宮議長)の発言は、長期闘争と生活を継続してきた実感だと思います。被解雇者である闘争団の家族の方々は、JR採用時の差別・組合間差別=解雇、執行部の屈服路線や裏切りを乗り越えて不屈に闘ってきたといえます。心からの敬意を持って、まだ最後の詰めの闘いがありますが、本当にご苦労様でしたといいたい。
解決案について
しかし、23年にわたる不当労働行為をともなう解雇撤回闘争から見れば、解決内容は低水準です。まず「人道的解決」とすることによって、国家的不当労働行為問題を排除しています。解雇に対する謝罪もありません。政権交代をきっかけとした政治解決案も「人道的解決」の域をでていません。過去の政権の行った何らの謝罪もなし、雇用確保については要請・努力目標で、バックペイに当たる和解金は一人当たり2200万円できわめて低額です。
その原因は、国労執行部の間違いや、闘争団排除という屈服路線、国労解体に迎合する分裂というストライキ闘争、大衆闘争の山場設定なき国労運動の弱体過程の結果です。
なぜこの結果か、
闘争の山場を設定しなかった
国労執行部の大きな間違い
この闘争は、JR不採用=採用差別・解雇の国家的不当労働行為との闘いでした。先に述べたように、中曽根元首相が後日談として明確にした「国家的不当労働行為」「国労つぶし・総評つぶし」を狙った「解雇攻撃」との闘いであることがはっきりしていました。この攻撃にまったく対峙できなかった国労指導部の責任は大きい。
その原因は、1つは、そもそも初期段階の間違いとしての、屈服の「労使共同宣言」を否定し闘ってきた執行部が、組合員の怒りを組織することを放棄し、屈服する方針に転換したこと。その屈服方針を拒否した修善寺大会(1986年10月9日〜10日)での大衆的巻き返しを生かせなかったこと。その結果としての屈服方針を提起した本部執行部主流グループの組織的脱退に結びついたことです。
2つには、不当労働行為追及の放棄、屈服路線の4党解決案(2000年5月30日、与党3党(自公保)と社民党)の受け入れという間違いです。その内容は、@国労は、不採用(解雇)についてJRに法的責任がないことを認め、人道的観点からの解決策(新規採用)を話し合う。A本件は労使問題であり、政労使交渉はありえない。B話し合いはJR各社と国労各エリア本部と行う。C国鉄改革法関連の提訴は取り下げる、というものでした。この間違いは、指導部の闘争終結に反対し、自力で闘いを継続した被解雇者の鉄建公団訴訟団によって突破されました。国労執行部の闘争団処分に屈せず闘い続け、不十分とはいえ国鉄の不当労働行為を東京地裁で認めさせたこと、高裁でも不法行為に対する損害賠償を勝ち取ったこと、執行部に異議申し立てをして、支援の仲間と闘い続けてよかったと実感させたことは、労働運動史上高く評価されるものであると思います。
総じて、国労執行部の国家権力との組合の総力を挙げた闘争の山場設定も何も作らなかった責任こそ、労働運動史の汚点として残るでしょう。
関生では闘えたのに、なぜ
国労は闘えなかったのか
国鉄の分割・民営化にかけた支配階級の階級的狙いは、日本の労働運動の戦闘力・社会的規定力を持った運動の解体としての国労つぶし、総評つぶしでした。当時の政府、裁判所そして、マスコミによって作られた「ヤミ・カラ」キャンペーンで闘いは当初から困難を極めていました。
全日建連帯労組・関西生コン支部は、1982年にはじまる権力弾圧を受け、多くの逮捕者をだしていました。日経連会長(当時)は、「関生型の運動は資本主義の根幹に触れる運動である。箱根の山は越えさせない」と表明していました。
簡単に比較は出来ないが、大きな違いは、執行部が労働者の権利侵害、労働組合つぶしに怒りをもって組合員を闘いに組織し、敵と対峙する気概があったのかどうかということです。関西生コン支部の指導部には気概があり、国労指導部にはなかったということです。
その根拠は、企業主義、大企業労組主義の結果であったのではないか。簡単に言えば、「労使共同宣言」を否定し、敢然とストライキをはじめとする大衆闘争で組合員を鼓舞し、その闘いへの共闘をすべての労働組合に大胆に訴えなかったことにあるといえます。
国鉄一家の重層的下請構造を労働組合への組織対象にした取り組みも見られませんでした。国鉄下請け重層構造の下で働く労働者大衆を組織化すること、全交通運輸産業に影響力を行使しうる産業別労組共闘や企業内を突破する産別建設を思考する観点を持ち合わせていなかったからではないでしょうか。
雇用についてJR各社は否定的です。今後、国鉄労働組合がエリア化し、JR各社により一層強まっていく、つまり企業内本工主義に陥るとの声も聞かれます。
今日の連合型労働運動には、未来の展望はまったくありません。
以上の私たちの見解は、社会的、産別・業界別に規定力を持つこれからの労働運動の構築の重要な総括視点と考えます。
編集部から 稲垣さんは、3月10日の検察庁の収監から大阪拘置所、そして3月18日に滋賀刑務所に移送され、受刑生活を送っています。釜ヶ崎地域合同労組に届いた便りを紹介します。今後、時々の便りを紹介して行きます。稲垣浩さんへの手紙は
〒520-8666
滋賀県大津市大平1-1-1 滋賀刑務所内
稲垣 浩 様 |
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検察庁前の“抗議”“励まし・連帯”集会ありがとう!
滋賀刑務所で3人の人から声をかけてもらった! 滋賀刑務所の運動場に咲く桜の花の満開時は、観桜会(かんおうかい)があって、桜の下にゴザを敷いて、桜餅が二つとパックのお茶が配られ、しばしの間、花見をさせてもらいました。刑務所で見る桜も大阪城で見る花も、どちらも美しい花に変わりはありません。春を感じた1日でした。
私が配役(はいえき)されたところは印刷工場で、私はいろいろな色や模様のあるビニールの床のサンプルを貼る作業をしています。と言ってもまだ新米ですので、作業の指導を受けながらやっています。座って、手先を使っての軽作業ですね。まじめに一生けんめいやってますよ。
運動時間は他の人と一緒に運動場を30分散歩しています。若い人たちはソフトボールを楽しんでいますね。
4月9日に、大阪拘置所とここでの考査工場で作業した3月分の作業報奨金の告知がありました。358円でした。オーマイゴット!!
でも楽しいこともありますよ。「おっちゃん、どこから来たの」と私に聞く若者。「西成」「ぼく、萩ノ茶屋小学校行っててん」「へえ〜」と私。
また「あの稲垣さんやねえ」と言うから「西成警察署の横にある組合事務所で活動してます」と言うと「やっぱり!」。その若い人が他の人と話している会話が聞こえてきました。「あのおっちゃん、選挙に出ててな。選挙権が無いとき、あのおっちゃんの顔の鼻の下に黒のマジックでひげを書いたことがある」「バリバリの釜ヶ崎やで、あのおっちゃん」。
さらに別の日の運動時間、ベンチに座っている私の横にゆっくりと近づき座った人が、私の胸につけたバッチに書いてある名札を確かめるようにのぞいて、独り言のように「私の知ってる稲垣さんは、稲垣浩と言う人ですが」と言うので「私、稲垣浩と言いますが」と言うと「やっぱりそうか、あの釜共のね。なんでこんなところに居るんですか」と聞くので「2008年の6月に西成警察署の警察官が一人の労働者を4人がかりで暴行したので、それに抗議した件で実刑となり、これを受けて二つあった執行猶予が取り消されて収監されました」と答えました。「まさか、こんなところで会うなんて」と驚いている様子でした。私は「お互い元気でここを出ましょう」と言ったらうなづいておられました。その人が他の人と話す声が聞こえてきました。「やっぱりあの人やったわ」。
滋賀の刑務所で3人の人から声をかけてもらえるなんて思ってもみなかったので、こんなにうれしいことはありません。
刑務所を出所して、8割の人が1年以内に再び刑務所に入ってくると言われています。それを防ぐために、出所した人が居宅保護を受け、病気の治療や就職活動ができるよう手を差しのべなければならないと思いました。この意味においても、釜ヶ崎で現在すすめている居宅保護を勝ち取る闘いの活動は重要です。(略)
今月の通信はこれが最後です。定められた作業は手抜きせず、一生けんめいがんばっていますよ。これからは原則月曜日にしか発信できません。
稲垣さんからの獄中便り 4月その3 大阪拘置所の便箋は18行ありました。そして封筒には7枚まで書いて送れます。滋賀刑務所は便箋は15行です。しかも5枚しか送れません。18行掛ける7枚で126行書けます。ここでは15行掛ける5枚で75行書けます。126行引く75行イコール51行。
滋賀刑務所では大阪拘置所より51行も少ない発信量になります。私にとってはつらいことです。安否や組合活動の発信量が制限されることになるのですからね。
大阪拘置所の職員は、封筒に入れて80円切手を貼って出せるのは便箋7枚が限度と言ってました。いずれにせよ表現の自由は最大限守らなければならないのに、と思う今日この頃です。
ここでは4月6日に観桜会というのがあって特別食が出るそうです。運動場の横に立派な桜の木があって、もう八分咲きではないでしょうか。刑務所で見る桜の花もシャバで見る花も同じように美しく見事です。略
配役(はいえき)は印刷工場でした。工場の中に入るとプーンと印刷に使うインクのにおいが鼻につきました。と同時に天六にあった千里印刷を思い出しました。なつかしいインクのにおいです。
私は過去、印刷の仕事にたずさわったことはありませんが、頼んだ印刷物の打ち合わせなんかに何度も印刷室に入ったことがありました。あのころのことを思い出しました。略
私の雑記帳のノートの題名(タイトル)は弾圧に屈しない!!と表紙に書いてあります。今月(4月)はこれで3度目の便りです。もうあと一度しか出せません。関生労組や管理職ユニオンにも礼状を出したいのですが、それもママならないのでよろしくお伝え下さい。(略)
稲垣さんからの獄中便り
3月31日付滋賀刑務所からの便の一部 今日は刑務所内の運動場で歩行訓練、軽い運動を20人くらいでやりました。桜の木は三分咲きくらいかな。少し暖かくなりそうな気配が感じられます。ここは山の中ですので房内から庭を見ると見たこともないような野鳥がえさをついばんでいます。
それにここの食事は大阪拘置所の味の悪い官弁よりおいしいです。おかずの味付けは合格ですね。
今日も、新入講習で教官は「憲法で保障されている人権はあなた方にある」というようなことを話していました。自立支援センターや市更相やあいりん職安はそんなこと言いません。
私と一緒に新入教育を受けている日系の人に担当さんがわざわざ試験問題の意味を解説していました。作業をしていてわき見はできませんが、担当さんのちょっとした親切心に心を打たれました。
刑務所は人生初めての経験ですが、しっかり勉強して帰りたいと思っています。ここでしか経験できないことを味わっております。
官房着はねずみ色の服、作業着は黄緑の服と帽子。今週いっぱいで新入教育が終わり、来週から本格的に配役組となり「所定の作業(定められた仕事)を行う」ことになります。
どんな仕事をすることになるのか分かりませんが、どんな仕事でもやりたいと思っています。土方の仕事、かたづけの仕事なんかもあればやりたい。それとも室内作業。気になる今日このごろです。
プラスチックのバリ取りの仕事は、エアコンの部品のようです。また、コヨリの紙の先を広げる仕事は、木の道具を使ってシワをのばすのですがうまくできない。世話役の人に「へたやなぁ」とため息をつかれました。その後またプラスチックのバリ取りをやってます。
稲垣さんからの獄中便り 3月28日 (略)3月18日に移送された日に考査工場で受刑者生活心得を読んだり、この日から2週間、刑執行開始時の指導を受けることになっています。学校で言えばカリキュラムのようなものです。
みんなと協調してゆくようにとか、ここは初犯刑務所でA級施設(A級施設とは何を意味するのかちょっと分かりませんが)であることとか、まじめな者がバカを見ないように対処するとか、ここでは水道代が1ヶ月500万円ほどかかっているという話。
波長の合わない人もいると思うがそこを乗り切る、等々具体的な話は説得力がありました。これを一人の人が話すのではなく、各々教官、統括の人たちが話します。受刑者であっても憲法上の知る権利がある、とも教えられました。いろいろと勉強させられます。
クラブ活動というのがあって、習字、短歌、俳句、パソコン、卓球等があって、私はパソコンを申込みましたが、パソコンは人気があって待たなければならないと教官が言ってました。待っていようと思っています。
ここでは交談が禁止となっています。他の受刑者の人とは作業上の交談も教官の許可をもらってしかできません。昼食は考査工場で食べ、そこで昼休み。このときに他の人たちと交談ができます。
私より2,3日あとに来た人が「お宅、もしかして釜共の会長の稲垣さんではないですか」と声をかけてきました。まさかここで声をかけられるとは思いませんので驚きと戸惑いがありましたが、「会長とはちがいますが、稲垣ですが・・・」と返事をすると「そうじゃないかと思っていたんです」。
この人とは作業の席が向かい合わせでしたが、作業中は向かいの人の顔を見るのも「わき見」ということになり注意されますので、顔を見合わせることはほとんどありません。「白手帳を作った時に、お世話になったことがあります」。
釜ヶ崎で日雇労働をしていた人ということがわかって少しうちとけて話すことができました。岸里の方で生活保護を受けていたところ、逮捕されたことによって生活保護が打ち切られて家財道具をすべて放棄したとのこと。
私は11ヶ月後に社会に出れるが、彼は満期だと2年後。出所したら釜ヶ崎解放会館に寄ってみる、と言っておられました。生活保護の相談であれば応援したいと思っています。「お互い事故無く元気で社会に出ましょう」と声をかけあったところで昼休みが終了。また二人とも黙々と作業を開始しました。社会から遮へいされた場所で声をかけてもらって何となくほのぼのとした気分になっております。(略)
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