|
増田 幸伸(近畿生コン関連協同組合連合会専務理事) |
●ライファイゼンの農村信用銀行
シュルツェの庶民銀行に少し遅れて、ライファイゼンの農村信用銀行が生まれます。シュルツェ同様、ライファイゼン(1818〜1888)も25農村の連合体の町長でした。経済的困窮にある小規模農民を支援するために、当初は、富裕層の善意に頼り、シュルツェの事業を参考に貸付組合を作りました。しかし、徐々に農民自らが組合員として協同組合を活性化していくべき事に気づきました。
ライファイゼンは、1862年、最初の農村の信用組合を作り、1866年、『農村の住民と都市の手工業者及び労働者の困窮を救済する手段としての貸付金庫組合』を出版しました。彼の「万人は一人のために、一人は万人のために」はよく知られています。
さて、ライファイゼン・モデルはシュルツェ・モデルと異なり、出資金を必要としませんでした。組合員は、無限責任(債務者の全財産で債務を支払うべき責任)を負い、自分の農場や牧畜、農機具を最終担保として用いるのです。ライファイゼンは「組合員の最も重要な義務は債務を負うことである。・・・必要な資金のための信用を得るには、債務は連帯の基礎の上に組合員によって分担され、組合員の間では万人は一人のために一人は万人のためにということが避けられない」と指摘しました。
そこで、彼の信用組合発展戦略は、地方の農村教区牧師のリーダーシップに依拠することと、組合員の財政的な実態ばかりでなく、信頼性や人柄も十分掌握できる範囲、つまり、1農村1信用組合に限定することでした。
農村信用組合では、剰余は分配されずに積立金として留保され、貸付資金は少額の貯蓄や積立金から補填されたのです。また、組合の規模が小さいので、有給職員は会計係1名で済みました。
しかし、規模が小さいために中央機関の支援を必要としていました。1876年、ライファイゼンは、流動性管理のために、信用組合の中央銀行としての農業貸付中央金庫を創設しました。
さらに、農村部の信用組合の利益代表のために、1877年に農村協同組合代表者連盟を創設し、この連盟は1905年にドイツ農村協同組合総連盟になります。この時期、1万3千以上の農村信用協同組合が存在し、小農を支えていたのです。1917年にはドイツ・ライファイゼン協同組合総連盟と名称変更します。
●信用協同組合と農協
産業革命は農業の革命をもたらしました。農業が市場経済化していく時、農業の協同は3つの基本的形態をとりました。1つは、購買協同組合。種子や化学肥料や家畜の購入の組織化。2つ目は、販売協同組合。農産物の分配と販売の組織化。3つ目は、生産協同組合。採取したミルクでチーズやバターを製造するのです。
さて、農業経営者にとって常に問題となるのは、天候や季節にかかわり無く資金が確保できるかということです。当時、そして今でも幾つかの国では、金貸しによる搾取が横行します。金貸しは、購買と販売の過程をコントロールし、両方で搾り取るのです。
借金に苦しむ農業経営者を救うために、ライファイゼンの協同組合運動は、農業生産過程の基本的で不可欠な生産手段の共同購入を組織化しました。
ライファイゼンの信用協同組合は、この様に農村経済に適合した多目的な協同組合として、後続した東ヨーロッパやアジア、アメリカなどの協同組合の原型となるのです。
●信用協同組合の発展
戦後、信用協同組合はヨーロッパで大きく成長してきました。90年にはヨーロッパ全体で5万6千の支店を持つ1万1千の地域と広域の信用協同組合があり、3300万強の組合員、40万人を越える職員、純資産1兆千億ユーロ(当時はECU)でした。欧州連合においては、預金額の17%を占め、商業銀行44%、貯蓄銀行23%に次いで3位にランクされていました。
但し、総じて協同組合全体が組合数を大幅に減少してきました。厳しい競争と急速に変化する市場環境に対応せざるを得ず、合併や統廃合が進んでいます。
最近のドイツでは、1271組合、組合員1592万人、顧客数3千万人、職員18万7061人、対顧客預金シェア21%(2006年)の事業規模を誇ります。
他にフランスやスイス、オーストリア、アイルランドなどにも強固な信用協同組合組織が存在します。
わたしの住む秋田県内には、「秋田空港」と「大館能代空港」がある。秋田空港は県都の秋田市に近く、大館能代空港は県北にあって1998年に開港した。現在は大阪(伊丹)便(1日1往復)と東京便(1日2往復)の運航だが、利用者は東北9空港の中で最も少なく、これまで何度も空港の危機がささやかれてきた。
ところがことしの5月末に全日空(ANA)は、大館能代―大阪(伊丹)線を、来年の1月4日の運行を最後に廃止すると県に伝えてきた。1日に2往復の東京便だけになると、空港の存続すら危うくなってくる。大阪便の存続を要望した県では、「一度廃止にするが、実績を見て再開も検討する」という全日空の説明に、「路線復活のため、大阪便を利用する観光客を呼び込むための努力を早急にすすめて搭乗率をアップさせ、再開をめざしたい。そのためにも地域の魅力を高めたい」と語っているが、地域がどんどん沈み込んでいる時に、具体的な方策は示していない。
大館能代空港が開港してから12年になるが、年間利用者数は03年の約17万人をピークに年々減り続けてきた。大阪便は05年から中型機から小型機に変わったが、県がまとめた09年度の大館能代空港の大阪便利用者は2万358人で、前年度比38人(0・2%)減にとどまったが、搭乗率は42・8%と低迷。利用者数、搭乗率ともに最低だった。東京はビジネス客が大きく減少し、前年度比6607人(6・8%)減の9万799人だった。県の需要予測では08年度に72万1千人となるはずだった。このあまりにも大きな違いは、なんなのだろうか。電話で聞いてもはっきり答えてくれないが、そもそも需要予測そのものがデタラメだったと言えば言い過ぎになるだろうか。
さらに驚いたのは、県建設交通部がことしの4月に発表した08年度収支状況によると、大館能代空港は一般財源の投入額と経常損益額の合計で3億7200万円の県民負担が生じているというのである。これは単年度決算を基にしており、累積損失など開港以来の積み重ね分は計算していない。なお、秋田空港の場合は3億2400万円が県民負担額で、2空港を合計すると6億9600万円で、県民1人あたり626円になる。県では口を開けば財源不足というが、空港のためにこれほど巨額の税金を投入してもいいものだろうか。
さらに県では、6月定例県議会に提出する補正予算案に大館能代空港の利用促進対策費として3800万円を盛り込んでいる。その内訳を見ると、いちばん大きいのが「千円レンタカー事業」でこれに2084万円を計上している。利用客が空港でレンタカーを借りたり(最初の24時間のみ)、空港で乗り捨てたりした際、料金が千円を超えた場合の費用を補助するという。また、空港を使った商品を売り出す旅行会社に対し、宣伝費を助成する事業に1400万円を出すというのだ。このような小手先の利用促進で、減り続けている乗客を呼び戻せると本気で考えているとしたら、おかしさを通りこして怒りを覚えた。
秋田県の北部地帯には新幹線も高速道路もなく、そのうえ空港が企業の採算性だけで路線の廃止が決まると、いったいわたしたちはどうなるのかと怒っている声を多く聞く。だが、同じ県北に住む一人として、20年前にデタラメな需要予測の元に巨費をつぎ込んだ空港が開港した時に、約1万人の人が集まり、1番機が着陸したとき、完成と拍手で迎えたのを忘れてはいけない。元々空港を持ってくるほどの基盤が県北には無かったのだ。十和田湖・八幡平・白神山地という観光資源はあるものの、いまや観光客の多くはバスで運ばれる時代になっている。過去の間違いと現在の苦しさを見据えたうえで、行政の税金のバラ撒きと安易な発想にまどわされない強さを持たなければいけないと、いまわたしは自分に問うている。
|