第29号(2010/11/10)●7面
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■連載(寄稿)

協同組合運動とは何か(25)
アフリカの協同組合運動@

増田 幸伸(近畿生コン関連協同組合連合会専務理事)

アフリカとは

 アフリカは、面積3022万kF、人口10億人、53カ国からなる。19世紀に西ヨーロッパ列強による「アフリカ分割」、すなわち、アフリカの各地、各王国などは、リベリアやエチオピアの例外を除いて、ヨーロッパ各国帝国主義の植民地となり、完全に支配された。この「分割」による国境線は、居住する民族・部族や宗教に関係なく、帝国主義間の勝手な線引きによったため、現在の民族紛争の原因ともなっている。
 1960年代に次々と独立したが、欧米の新植民地主義的介入や東西冷戦、独裁政権の発生や内戦など困難な状況が続いてきた。現在でも、紛争、治安悪化、貧困、エイズなど多くの問題を抱えている。正確には、現在の多国籍企業・金融によるグローバリゼーション、市場原理主義の経済構造によって、北が富み南に貧困が作られていく。
 アフリカは、帝国主義的宣伝によって、「暗黒の大陸」などと蔑称され、未開の民、援助を受けるだけの存在として描き出されてきた。しかし、アフリカは現人類の発祥の地であり、古代エジプト(紀元前4200年から紀元前30年までの4千年にわたる高度な文明を誇った)の例だけではなく、北・西・東・南アフリカのそれぞれの地域で、近代に至るまで、独自の文化文明の歴史を有する。そして、現在、自らの手で真の独立と経済の自立的発展を求めて苦闘する。
 このアフリカの強いられた困難の中で、協同組合の歴史と現状を辿る。

植民地の段階

 近代の矛盾と共に発展してきた協同組合運動は、まずは自発的な労働者、農民、零細事業者たちの取組として始まる。協同組合は幾つかの分野で事業を通して大きな成功を収めた。
 しかし、アフリカやアジアでの普及の仕方は大きく異なる。植民地政府はヨーロッパ型の近代的協同組合を一方的に押し付けた。
 そもそも、どの地域にも協同の歴史は存在する。アフリカには、伝統的な2つの協同形態がある。1つは組合員が交代制か共同でお互いの為に仕事をする労働集団の仕組みがあり、もう1つは組合員が輪番制で順番を決めて積み立てられた貯蓄を活用する仕組みがある。例えば、ボツワナとザンビアの埋葬協同組合は西欧の友愛組合と共通項を多く持ち、ジンバブエの非公式な貯蓄グループは信用組合とよく似ている。残念ながら、こうした自発的な協同の仕組み、組織形態は無視された。
 アフリカでの協同組合普及は、ロッチデールやライファイゼンのモデルを知っているヨーロッパの入植者たち(別名を侵略者と言う)によって始まった。1925年にはタンザニアで、翌26年にはジンバブエで、入植者たちの為の協同組合法が制定された。チュニジアでは、フランスの入植者たちがブドウ園を経営する為に土地購入とワイン醸造の協同組合を作り、一方で、入植者と原住の人々のニーズに適用する為、ガーナではココアの輸送と市場出荷の協同組合を、ベルギー領コンゴではカトリック宣教師たちが信用組合や貯蓄組合を作った。
 ついで、イギリスやベルギーやフランスなどの植民地政府が協同組合を利用する。理念的には、漸進的に近代的な市場経済を導く為に、また、それまでの間、中間商人や高利貸しから住民を守る為と称し、協同組合が伝統的社会と近代的社会をつなぐ役割を果たすとされた。しかし、実際は植民地政府行政官の支配・指導の下、強制的に導入された。既存の支配関係を維持し、外部から管理される輸出志向の貨幣経済に原住の人々を徐々に引き入れ、地方の社会組織の「近代化」の手段として利用された。2つの導入・運営方法があった。
 イギリスは、もともと地方分散的な住民の組織を通じて行政を執り行ってきた。まず、ライファイゼン型とイギリスの「産業及び節約組合法」モデルに基づいた協同組合法を制定し、協同組合専門の登記所を作り、登記官に大きな権限を与えて、振興と監督を集中した。その上で、協同組合は自主管理を建前とされ、2次組織や連合会の創設には援助を与えられた。
 ケニアでは、1931年の協同組合法で、登記官や登記・監査・監督・解散に責任を負う特別政府部局の規定が設定された。ボツワナ、エジプト、ガンビア、レソト、モーリシャス、ナイジェリア、タンザニア、ジンバブエでは、協同組合と同じような組織構造が作られた。1950年代までに、タンガニーカ(現在のタンザニアの一部)で617の協組、32万5千人の組合員、ウガンダで1598協組18万8千組合員、ケニアで576協組15万8千組合員、ナイジェリアで3115協組15万4千組合員を組織していた。
 もう一つのフランス方式では、植民地政府が、1910年フランス領西アフリカに、中央官僚に管理され、地方の村落の定住パターンを無視して大規模な行政区分けをした上で、「土着共済組合」を作った。同15年には、すべての成人が強制的に組合員にされ、出資金を毎年徴収された。大規模な総合農協的機能を持つものとしてあったが、政府主導の農業計画の実施窓口でしかなかった。
書評

新しい労働社会 B
 ―雇用システムの再構築へ


濱口桂一郎著、岩波新書 

2「日本型雇用」について

 著者が「日本型雇用システム」の特徴として、長期雇用制度(終身雇用制度)、年功賃金制度(年功序列制度)、企業別組合の3つで「三種の神器」としていることを整理します。
@著者は、「日本型雇用システム」の特徴として、「職務のない雇用契約」としています。
 労働契約で、どういう種類の仕事、労働をするか決めていないといっています。ヨーロッパやアメリカでは、特定された労働の種類、職務(ジョブ)を雇用契約ではっきりさせます。自動車の組み立てライン作業とか、会計帳簿をつけるとか、自動車の販売をするとかということ、そして勤務場所が決められます。日本は、職務という概念が希薄であり、企業・会社に就職するという形で職務ではなく「メンバーズシップ」なのだというのです。
 著者は、「日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用制度、年功賃金制度、企業別組合は、すべてこの職務のない雇用契約という本質からのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます」と結論づけています。
A長期雇用制度(終身雇用制度)。著者は、「アメリカという例外を除けば、ヨーロッパやアジアの多くの社会では使用者の解雇権は制約されています。しかし、雇用契約で定められた職務がなくなったのであれば、その解雇は正当になります」ということで、日本は「ある職務に必要な人員が減少しても・・・、他の職務に異動させて雇用契約を維持することができます」、また出向とか転籍で「他の企業(子会社、関連会社など)において雇用を維持する可能性が追求される」、それは企業の「メンバーズシップの維持です」ということです。
B年功賃金制度(年功序列制度)。職務を特定して雇用契約をするのであれば、「職務ごとに賃金を定めることになります」、そして「その賃金額が自動的に上昇するということはありません」ということです。「実際にはある職種の中で熟練度が高まってくれば、勤続に関係して上昇することもありますが、賃金決定の原則が職務にあります」ということ、これが「同一労働同一賃金原則」と呼ばれるものです。
 しかし、日本の雇用システムでは「雇用契約で職務が決まっていない」ので、「賃金と職務は切り離して決める」ことになる。多く用いられる指標は「勤続年数と年齢」です。これを「年功賃金制度」といいます。勤続と年齢が同じであれば、すべて同じかというと「日本の賃金制度は、年功をベースにしながらも、人事査定によってある程度の差がつく仕組みです」ということです。
C企業別組合。日本以外の社会では、「職務ごとにおこなう」ので、「どの企業に雇用されていても同じ労働条件」、従って「団体交渉は企業を超えた産業別レベルで行われる」ことになります。これに対して日本型雇用システムでは、「職務ごとに交渉することは不可能」であり、「賃金額は個別企業における勤続年数や年齢を基本にして決める」ことになります。
 著者のまとめは、「長期雇用制度の中で、経営の悪化にどう対処するかとか、労働者の異動をどう処理するかといった問題に労働組合が対応するためには、企業の組織である必要があります。この必要性に対応する組織形態が企業別組合です」とのことになります。

3著者のいう「メンバーズシップ」も
 崩れてきています。

 管理職ユニオン・関西の活動を始めたとき、バブル崩壊後の時期でリストラ対象になった中高年齢管理職は、企業内組合から排除され、取締役や部長などの上司から命令される立場におかれていました。彼らは、リストラ解雇の対象となり、その前に強制的な遠方配転・出向、職種のまったく経験のない事務や現場労働から営業職、その逆の辞令が乱発されていました。時には不可能な仕事量の押し付け、仕事の取り上げ、いわゆるいじめ・パワハラによる退職勧奨の強要がありました。辞めざるを得ないように追い込む、ストレスが溜まり精神的病気になるなど、私から見る「不当」がまかり通っていました。
この「日本型雇用システム」の中高年齢正社員層がリストラのために、「職務のない雇用契約=メンバーズシップ」が悪用されることになりました。(次号につづく)

管理職ユニオン・関西 仲村 実 


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