第32号(2011/2/5)●4-5面
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「答えは現場にある」

―新自由主義的復興計画に希望はあるか―


大野和興(農業ジャーナリスト/季刊『変革のアソシエ』編集長)


 前号に報告したように、東日本大震災緊急支援市民会議は10次にわたる支援トラック隊を出してきた。
 今、上からの「復興への提言」が出されているが、被災地の現場はどうなっているか。「答えは現場にある」という観点から、ここに大野さん、淵上さんの報告をご紹介する。(編集部)
菅首相の肝いりで発足した首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」が6月25日、「復興への提言〜悲惨のなかの希望〜」と題する答申を首相に提出した。いろいろ修飾語が並べられているが、それらを取り去っていくと、残るのは増税と効率優先の復興路線、という本質が見えてくる。新自由主義的復興とでも言うべき鎧が袖のしたからのぞいて見えるのだ。4月初め以来、原発被災地福島の村々を訪ね、6月初めには法政大学サスティナビリティ研究機構の調査団に同行して、地震と津波の被災地三陸沿岸を北は岩手県宮古市から南は宮城県名取市まで歩いた。

津波被害と漁民

■日本の水産資源を支えてきた三陸

 宮古、釜石、大船渡、石巻、女川、塩釜…。豊かな北洋を控えて名だたる漁港はどこも壊滅状態だった。防波堤、防潮堤は破壊され、漁船は陸地に打ち上げられている。沿岸に並んでいた水産加工場や魚市場はあとかたもない。岩手、宮城、福島の太平洋岸、いわゆる三陸沖は親潮と黒潮がぶつかる世界でも屈指の漁場である。複雑に入り組むリアス式海岸の入り江ごとに漁港があり、沿岸、沖合、遠洋そしてカキやホタテなどの貝類や、ワカメ、コンブ、ノリなどの養殖が盛んに行われていた。
 3月11日の津波はこれらすべてを飲み込んでしまった。漁船も養殖のいかだも漁港も水産加工場も卸売市場も、全てが消えてしまった。農林水産省の統計から漁獲高の順位をみると、サンマは1位北海道、2位宮城県、3位岩手県。サケ類1位北海道、2位岩手県、3位宮城県。サメ類1位宮城県、2位北海道、3位岩手県。養殖カキ1位広島県、2位宮城県、3位岡山県。養殖ワカメ1位岩手県、2位宮城県、3位徳島県。魚食を中心とするこの列島の食生活は三陸を除いてあり得ないことが分かる。


■壊滅的被害が

 被害額は今も正確な数字は把握できていないが、水産庁に報告された5月末までの数字を見ても、陸に打ち上げられて被災した漁船が1万8600隻、被害を受けた漁港3県の263漁港のうち258漁港、宮城では水産加工施設の7割が全半壊した。
 陸の施設だけではない。湾には大量のがれきが流出し、漁や養殖の再開を妨げている。日本一を誇った防潮堤がもろくも崩れた岩手県宮古市田老の漁港では、壊れた防潮堤の残骸がそのまま湾内に流入し、海を占拠している。

■海は誰のものか

 6月25日に出された復興構想会議の提言の柱に、かねて宮城県の村井嘉宏知事が提唱していた水産業特区構想が盛り込まれた。漁業権を外部資本に開放し、復興を推進しようという構想だ。宮城県の漁業協同組合は法的手段に訴えても漁業権は守るという立場を貫いているか、「復興のための有力な方法」とマスメディアを含め、この構想を支持する意見も多い。

 しかし、この構想が実際に適用された場合何が起こるかを危惧する漁業関係者は多い。まず起こるのは漁民の浜と海からの排除であろう。宮城県や構想会議の計画では、漁民は参入してくる企業に雇われるから安泰だ、と説明している。だが、漁業は潮の流れ、岩場、産卵場所など地元の海をよく知る手だれの漁師によって支えられてきた。そうした漁師は高齢者である場合が多い。高齢者をわざわざ労働者として雇用する企業があるとは思えない。結局ベテラン漁師から順に浜や海から排除され、働く場所を失った漁師は地域にも住めなくなる事態が起こることが予想される。

 参入してくる外部資本は果たして漁業・水産業をやるのかという疑問もある。世界でもまれなリアス式の風光明美な三陸海岸は、豊かな漁業の地であると同時に観光資本の垂涎の地でもある。これまで漁民は漁業権をたてにして開発を防ぎ、海を守ってきた。その漁業権を資本に開放するということは、海がどのように使われても防ぎようがないということを意味する。三陸の浜は外国資本を含む大観光資本に占拠され、海岸はホテルの占有地となって地元住民は締め出され、海はレジャーボートに遊び場となるという光景が浮かんでくる。

 もっと重大なのは漁業権という権利はいかなるものかが、まったく無視されていることだ。宮城県は構想会議のいう漁業権は、県知事により漁協に与えられる免許、というものとみなされている。しかし、本来漁業権は陸の入会権と同じく、その山や土地、海、川を利用する地域に生きる人々の「総有」の権利である。海や山や土地や川は本来誰のものでもない。その地域の資源を地域に生きる農民や漁民が自分たちの共同のものとして闘いとってきた権利なのである。それは生存権そのものといってもよい。

 使う人みんなのものであると同時に、共同利用グループを構成する個人の権利でもあるこの資源は、その個人が一人でも反対すれば譲渡や売買はできない。それが「総有」の意味だ。政府や県が勝手に外部資本に開放できるものではない。この構想が漁民の震災からの復興に立ち上がった漁民の息の根を止めてしまうことになりかねない。



原発震災と農民

■消された村
  ――双葉町の志賀一郎さん


 40年間、コメを作ってきた。借地10ヘクタールをいれ、12ヘクタールの稲作を手がけていた。安全なコメ作りをめざし、農薬、化学肥料は控える環境保全型農業を追求してきた。営々と土を作ってきた田んぼに、もうはいれない。まだ1000万円の借金が残る農機も流された。残ったのは、その日乗っていた軽トラだけ。これが全財産だ。
 はじめて会ったとき、志賀一郎さんは無精髭をなぜながら、以前ならこんなことはなかった、きれいに剃っていたんですが、と照れたようにいった。「以前」というのは2011年3月11日のことだ。東日本大震災が東北・北関東を襲い、福島第一原発が連続爆発を起こして、暴走をはじめた。この日、志賀さんはすべてを失った。妻、孫、自宅、田畑、そして63年間生きてきた故郷、双葉町。お孫さんは昨年11月に生まれたばかり、遅い初孫だった。携帯電話に写真が残っている。見せてくれた。まるまるとした赤ん坊が笑ってこちらを向いている。涙が溢れ出して話が聞けない。我ながら記者失格だなと思った。
 地震があった3月11日は志賀さんはイベントに野菜を運ぶために出かける途中だった。そこへ地震、引き返したが家は消えていた。息子夫婦も駆けつけ、探したが見つからない。そして原発爆発、退避指示。またすぐ探しに戻ってこれるつもりでそこを離れた。志賀さんの自宅は海岸から500メートル、第一原発から3・5キロだった。
 軽トラにいつも乗せていたものがある。一昨年、大阪であったコメの食味品評会でもらった金賞の表彰状のコピー。大事そうに取り出して見せてくれた。40年の手だれコメ作り百姓の唯一の存在証明。志賀さんにはこれしかない。
 いま志賀さんは郡山の有機コメ作り仲間の家に身を寄せている。ここでコメ作りを手伝いながら、避難解除になったら妻と孫を探しに戻るつもりだった。原発から今も流出し続ける放射能は、その望みも断ち切った。「田植えが終わったら恐山に行って妻に逢い、許しをこいます。その後どうするか、何も決まっていません」と話す。何を許してもらうのか、ついに聞けなかった。

■それでも種をまく
  ――郡山の中村さん夫妻


 いつもは明るく、よく話す中村喜代さんだが、その日は寂しげで、不安そうにみえた。東日本大震災の日からほぼ3週間が経った4月初め、福島第一原発の暴走はその行き先も定かではないことが次第にはっきりしてきていた。ふいに喜代さんがまるで歌うようにいった。

「百姓は種まいて百姓、つくって百姓」
 そして、さあと掛け声をかけて台所に立って行った。瞼が光っているように見えた。連れ合いの和夫さんはそれを受け、「補償とか、そんなことではなく時期が来れば田んぼを起こして、水を入れ、田植する、それを続けないと百姓としてやっていけなくなる。そんなものです」と自分に言い聞かせるようにゆっくりと話した。

 郡山市逢瀬地区で代々の百姓を継ぎ、もう40年を超える。有機農業に転換してかなりになる。何年も冬水田んぼもやっ
てきた。その田んぼには時期になると白鳥が百羽以上やってくる。喜代さんは地域の一角に仲間の女たちとビニールハウスで野菜の直売所を作り、生産と販売・加工を手がける事業を続けている。
 長年積みあげてきたそうした試みが原発で一瞬にして吹き飛んだ。野菜は放射線が検出されたということで出荷停止や自粛になり、直売所は閉鎖したまま、いつ再開できるかのめどもなかった。そんな話をお二人から聞きながら、「今年の作付けは」と質問したときのお二人の答えである。「それでも種をまく」、そんな言葉が頭をよぎった。百姓だから出てきた言葉なのだと思った。避難所を訪ね、双葉から避難してきていたコメ作り仲間の志賀さんを自宅に呼んだのは中村さん夫妻である。

■「休むと百姓でなくなる」
  ――三穂田の高田善一さん


 同じく郡山市の三穂田地区で集落仲間と稲作生産組合をつくり、60ヘクタールを経営する高田善一さんは5月、例年だと否応なく張り切る時期なのに、今年は何とも気合が入らない、と悩みながらトラクターに乗っていた。秋、本当に食べられるものができるのか、なにより放射能が降り積もった土地に作物を植えていいのだろうか、それを考えると、好きな酒も飲めない、仕事の後一杯やるのが仲間の楽しみだったが、あの3月11日以来、誰も飲もうといわなくなった、と語る。高田さんは稲作のほか乳牛を8頭飼っている。乳を搾るだけでなく、田んぼに入れる堆肥を手に入れるためにも牛は欠かせない。その牧草からもセシウムが出た。5月半ば、ふらっと訪ね、作業場で待っているとトラクターで帰ってきた。牧草をすき込んできたのだという。「切ないですね」というと、「切ないね」といった。

 それでもみんな耕し、種をまき、田植えをした。なぜと高田さんに問うた。中村さんと同じ答えが返ってきた。「百姓だからね、休むと百姓でなくなる」。

 種を購入し、肥料をまき、燃料代を消費して機械を動かし、自分の労力は計算に入れなくても結構お金をつぎ込んでいる。そうして作った作物が食べられるものになるのかどうか、誰にもわからない。それでもみんな種をまいた。


被曝線量20ミリシーベルトの問題

東日本大震災緊急支援市民会議  

淵上太郎(9条改憲阻止の会)



 政府は空気中の放射線量を計測して、放射性物質による外部被曝だけを問題にし、また年間20ミリシーベルト以下なら安全だ、としている。
 文科省などが「20ミリシーベルト」を根拠にしたのは、ICRP(国際放射線防護委員会)が2007年に出した「原発事故などの緊急時はこれを20〜100ミリシーベルトに、事故が非常事態を脱して収束に向かっている状態では1〜20ミリシーベルトとする」という基準である。それを政府が、この基準のうち最も厳しい20ミリシーベルトとしたと出したものである。
 事故は収束していない、しかしだからと言って一般住民の安全や健康に関する基準に「緊急時」の基準を持ち出すのは完全に誤っている。あくまでも一般住民の安全や健康は最大限守られねばならない。「緊急時」の無制限援用は、ウソの始まりである。一般住民の立場は、一定の対価を得て事故の処理に携わる作業員の場合とはまったく異なるのだ。
 20ミリシーベルト問題は、さらに幾つかの問題を抱えている。1つは、子どもへの問題である。ICRPの基準は子供と大人の区別をしていない。だから政府はこれに習ったのかも知れない。放射線被曝の影響の大きさを順序づけると、胎児↓幼児↓成長期の子供↓これから妊娠の可能性がある女性といったことになる。文科省もこの程度のことは知っているはずである。胎児や幼児・成長期の子供を持つ母親が、20ミリシーベルトに怒りを禁じ得ないのもまったく当然のことである。

 2つは、政府はあくまでも外部被曝、空気中の放射線汚染濃度だけをを問題にしている点である。放射線物質は3月11日以来、確実に原発事故周辺の住民の身体に取り込まれ蓄積されているのである。その負の兆候は、幼稚園など体調不良などで欠席する児童が増加していたり、原因不明で血を吐いたりする児童もいるということに顕れている。因果関係は必ずしも明確ではないが、先頃行われた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が福島市内などの6〜16歳の子ども10人を対象に尿検査を行った結果、全員から放射性物質が検出されたと発表している。国やその他の行政は「ホールボディーカウンター」(WBC)を用いた「体内被曝」について調査する段取りを早急に検討べきである。最低でも福島の28万人の子どもたちに尿検査を実施すべきである。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が出来た調査を、日本の政府が世界の協力得て出来ないはずはないのだ。
 だが福島のこうした体内被曝、積算被曝量について、政府は依然として無関心を装っている。あろうことか文科省は『放射能を正しく理解するために 教育現場の皆様へ』(23年6月24日付け)というパンフレットを作成し、「毎時3・8マイクロシーベルトの考え方」について「子供の放射線感受性を考慮し、1年間毎日、校庭に8時間、その上に建つ木造校舎に16時間居るという現実的にはあり得ない安全側に立った仮説に基づき、年間20ミリシーベルトから導き出された値」であり、「児童生徒が受ける線量をできるだけ低くするための対策をとる目安として設定したもので、これを超えると危険という安全基準ではありません」と説明している。ご丁寧にも太字の部分は赤である。更には「放射能のことを必要以上に心配しすぎてしまうとかえって心身の不調を起こします」として、以下の説明をおこなっている。「放射能のことをいつもいつも考えていると、その考えがストレスとなって、不安症状や心身の不調を起こします」「もし保護者が過剰に心配すると、子どもにも不安が伝わって、子どもの心身が不安定になります」「不確かな情報や、人の噂などの風評に惑わされず、学校から正しい知識と情報をもらって、毎日、明るく、楽しく、仲良く、安心した生活を送ることが心身の病気を防ぐ一番よい方法です」。まさにこの説明は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などの必死の活動に真っ向から敵対するものである。ウソと詭弁に満ちた57ページにも及ぶこのパンフレットを直ちに回収することを要求したいところである。

 3つ目は「年間20ミリシーベルト=毎時3・8マイクロシーベルト」と積算線量と問題である。毎時3・8マイクロシーベルトの計算根拠は、年間20ミリシーベルトを365日で割り、さらに8時間は屋外で過ごすものとして100%、16時間は木造の建物のなかにいるとして40%の低減効果があるとして60%ということで計算されたものである。だから、逆に毎時3・8マイクロシーベルト以上を記録すれば、年間として20ミリシーベルトを想定できるといわけである。だが過去の積算線量の実績は、毎日、毎時間変化する過去のデータ量を基礎に実績を推定する。従って、積算線量の実績の方が事実に近いと言えそうだが、文科省で発表されている「線量測定マップ」(例えば平成23年6月11日時点)の測定開始日は、一番早いもので3月17日である。すなわち水素爆発があった3月12日、13日の放射線物質の放出は全く無視されていると見なされる。少なくとも3月11日から16日までの放射線量はどういう推定を行ったのか不明である。
 ともかく、文科省の平成24年3月11日までの積算線量(推計)のうち1ミリシーベルトを超えるのは福島県のほぼ全域であり、避難地域及び計画避難地域を除く地域で10ミリシーベルトを超えるところは、浪江町など沿岸地方を除いても、福島市、伊達市、郡山市、二本松市、本宮市などの一部に広がっている。
 福島の人々は、今日まで放射性物質を体内に取り込み、故郷に留まる限り、これからも体内に取り込み続けるということである。そして子どもたち、女性たちに最も深刻な障害をもたらそうとしているのである。誰も故郷を離れたくはない、父親には仕事もある、放射性物質の存在はこれを否定する。大きな矛盾である。だがこれに対して政府の仕打ちは無責任で無能である。
 子どもを持った福島の母親たちが怒りの声をあげ、6月26日には福島市内で初めて大きなパレードを実現させ、福島県民、全国の人々に訴えた。6月29日には再び対政府交渉が行われた。まるで他人事のような政府の対応には誰もがアキレるしかなかったと思う。せめてWBCによる調査・検査をして欲しいという願いにも、たった120人の極めて限定的なサンプル検査で済まそうとしている。
 福島第一原発の大事故は現在進行形で、世界最大級の事故に成長しつつあると見なすべきである。だからそれに対する真剣な取り組みが特に政府行政に求められる。今だから出来ることはたくさんあるのだ。それには福島の母親からの希望や意見を最大限尊重するこことから始まる。


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