全日本建設運輸連帯労組近畿地本副委員長として闘いの最先頭にあった川村賢市さんが4月29日、突然倒れ、翌30日早朝に逝去された。享年61歳。5月1日通夜、2日の告別式には川村さんの死を惜しんで多数の労働者、友人、知人が参列した。告別式では戸田委員長、および辻元清美衆議院議員が弔辞を読み上げ、最後に全日本建設運輸連帯労組関西生コン支部の武建一委員長が参列の人々にお礼のことばを述べた。以下に戸田委員長の弔辞を転載する。(「自由論争掲示板」より)
戸田執行委員長よりの弔辞
川村さん、あまりに突然の逝去に驚き、悲しんでいます。
川村さんは、反戦平和・階級的労働運動の情熱の闘士でした。
生コン支部役員時代は、組織部や争議対策部の責任者として、抜群の戦闘精神を持って、関西地区生コン支部の組織発展の基礎を築き、その後トラック支部執行委員長、近畿地本副執行委員長を歴任して連帯ユニオンの労働運動の拡大深化を図ると共に、いわゆる労働運動以外の、市民運動、反戦平和運動、住民運動、在日外国人の様々な民族運動、種々の選挙闘争等々、極めて多彩な運動を支援し共闘を進める窓口・パイプ役として活躍されて来られました。
シンボルマークとなっている鼻ヒゲと細く優しい目、人なつっこい笑顔と情熱溢れる語り方。まさに「小さな体に大きな闘志」を持った幅広い活動家でした。
そして自衛隊出身者でもありました。
かつては自衛隊出身の体験を十分に活かせなかったもどかしさもあったのでしょう。
しかし、近年、自衛隊出身者の方々が反戦平和運動に積極的に参与する、その状況を見る中、ご自身も例えばイラク派兵反対の本人訴訟、通称「ゼニカネ訴訟」という極めてユニークな集団訴訟の呼びかけをして代表になったり、その事によって全国の反戦平和の方々とつながったりされました。
そして常に現職の自衛官やその家族との交流・連携に心を砕いて来られました。
ソマリア沖への自衛隊派兵がなされる状況の中、最近も新たな活動を立ち上げ、自衛隊とその家族の人達をつないだ反戦平和運動のための新たな機関紙を発行させたばかりでありました。
私は、「人の生きる姿勢は死に際しての処し方に凝縮される」ということを、川村さんのご逝去に際してつくづく感じさせられた。
心臓の病を抱えながら、しかしこまめに一所懸命に体力の増進保持をし、スポーツセンターに出かけられたのも、この、ライフワークとしての種々の運動を永く発展させる意志あればこそでありました。
そして急激な脳幹の破裂による、即死してもおかしくない状況の中で、「警察病院に連れていってくれ」という事をハッキリと語り、その病院においてはお医者さんが「本日中は絶対にもたない」と断言されたにも拘わらず、その後20時間も命を継続し、翌朝5時前まで生存を続けた事に、川村さんの運動に賭ける強い強い意志を、私は感じさせられました。
そしてまた川村さんは、「自分が死んだら、臓器は全て提供して人々に役立てよう」ということを常々ご夫婦で話し合ってこられ、臓器提供のドナーカードも作っておられました。
この急な、突然の危篤の、この非常事の中でも、奥様が川村さんの気持ちを活かしてカードを家に取りに帰り、臓器提供のために全力を尽くされた、この事実の中に、川村さんの「人々の役に立ちたい」という強い意志を、誰しもが感じさせられる次第であります。
私などは、まだそこに及んでおりません。
この御霊前にあるアイバンクからの感謝状は、その証のひとつであります。
最後の最後まで、労働者民衆の役に立つ生き方・死に方を貫いた川村さん、そして常に連れ沿ってこられた奥さん。
どの運動の場にも、私達が支援するリベラルや市民派のどの選挙や運動の中にも、川村さんご夫婦の姿が常にありました。その姿がみなさんに親しみと安心感を与えてくれました。
こんなご夫婦での活動は、滅多にあるものではないと思います。
さて、ひとつだけエピソードを言わせて下さい。
12〜3年前まで、川村さんは刺繍が裏地に入った背広を愛用されていました。
しかし市民運動との交流をつなげる中で、「別の業界」の人間と誤解されてはいけない、という気持だったのでしょうか、これをスッパリとやめられました。
私が時々、冗談半分に「あの刺繍入りの背広、また見せて下さいよ」と言うと、「もうあ
れは処分して無くなったよ」、と照れながら、苦笑いをしながら語っていた姿を、今でも思い出します。
川村さん、もうあの裏に刺繍が入った背広姿の川村さんを2度と見ることは出来ないのですね。
今、労働者民衆に害悪を与える政治経済が続く中、「安らかにお眠り下さい」と川村さんに言うことは出来ません。
川村さんは天国でも、運動のためにああしようこうしようと、いつものように手を振りかざしながら、情熱を持って語る「川村ラッパ」を吹き続けて下さい。
私達はそれを心の耳で聞きながら、反戦平和と階級的労働運動の拡大深化に邁進していきます。
川村さんの意志を必ずや立派に引き継いでいく事をお誓い申し上げます。
最後に、川村さんの風貌を見ると、私はラテン系の人々を思い起こします。
ラテンの中南米の地にあっては、倒れた同志の名前を集会の場で一人一人読み上げ、そこに参席している人達が「プレセンテ!」と唱和する習慣があるそうです。
「プレセンテ」という唱和は、「ここにいるよ。みんなと共にいるよ」、という意味だそうであります。
川村さん。
同志川村!
プレセンテ!
(2009年5月2日、連帯ユニオン近畿地本執行委員長:戸田ひさよしの弔辞)
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